トマトソース、如何ようにでも - 063 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-ポポロ広場01  ポポロ広場を散策して、広場の裏通りにある(写真の建物の後ろの通り)リストランテに入った。店内は落ち着いた雰囲気で大変に落ち着く。まだ時間が早いので客は我々以外に一組だけ。しかし、時間が経つにつれて満席となってしまった。ここの料理は大変美味しい。味はクレモナで食べたパスタなみに美味しい。


 特に、『トマトソース、如何ようにでも』というパスタが抜群だった。トマトはオリーブオイルと玉ねぎとにんにくでとろとろになるまで煮込んだソースで、なんとも言えない味が出ている。トマトはよく煮ると酸味が抜け、味に深みが増して、まろやかになる。イタリアの料理にはハーモニーがあるといわれるが、ハーモニーどころじゃない。シンフォニーがある。


 それに比べて日本の料理(本物は洗練されているだろうが)は単旋律をアカペラで歌っているようなものですね。イタリアやフランス(中国だってそうだが)では最大限の組み合わせで最大限の効果を出そうとする。


 日本料理には醤油と砂糖が欠かせない。醤油や味噌なしで料理しろといったら、大変に困るだろう。醤油や味噌は万能調味料だから、これと砂糖があれば全て料理できる。家では私の担当がパスタ料理なので、独特の旨味をだすのに苦労する。欧米では醤油に相当するものがないから、ゼロから味を作り出さなければならない。野菜や香辛料や脂肪から甘みもうま味も出すから味に深みがある。


 日本では魚を見ると『生で食べる』ことばかり考える。だから、魚の扱いは日本が世界一なのだが、火を通すのが料理の基本だとすると、これは細工師の技と言うべきであろう。


 このことは料理の世界だけでなく、日本人のあらゆる生活様式、芸術、考え方に共通する傾向だ。と言うことは、『単味』こそ日本の文化や日本人の行動を律するキー・ファクターと言える。複合的に考え統合的に計画することが苦手なのも日本人だから。

 ミネソタの遠い日々 - New (シカゴへの旅パート2を追加) -
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