ヴァイオリン工房 - 062 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-catalogue  それよりも、ミノッツィの工房に行かなくては。今回の旅行はこれがキーポイントであった。『現代イタリアの弦楽器製作者100人』という本のミノッツィのぺージをコピーして持参して来た。


 聖アポリナーレ・ヌオーヴォ教会を出て更に左側、街の南に当たる一角に彼の工房はあった。小さな工房の中は見えないが、玄関の扉には『面会には電話で予約を』と張り紙がしてある。家の前でうろうろしていると、向いの家から中年のおばさんが出てきた。そのまま我々を見ている。

遠い夏に想いを-home 「ミノッツィさんはいるんですかね」
「さあ、たまには見かけるけど、今日はいるかどうか」
「旅行にはいってないですよね」
「さあ、判らないね。奥さんに赤ん坊が生まれるらしいから」

 仕方が無いので、ホテルから電話する事にする。今日は金曜日だし、明日、明後日は土・日ときている。イタリアで週末、それも8月の週末となれば休みに決まっている。クレモナもそうだが、ここラヴェンナもスケジュール上どうしても週末の到着は免れないのだ。



遠い夏に想いを-シシ門  彼の家を離れてもう一度通りに出ると、右側に小さな門が見える。シシ・バッサ門と言うらしいが、意味は分からない。ラヴェンナの城壁には数多く門が残っているが、これは街の南側に位置し、18世紀に建てられたもので、わりと新しい。駅から歩いても10分くらいだから、旧市街がいかに小さいかが判る。


 ホテルに戻って、ミノッツィ氏に電話を入れる。電話に出たのは本人だった。私が彼の93年作のヴァイオリンを持っている事、ノッコのためにチェロを作って欲しい事、土・日しかラヴェンナにいない事を告げた。土曜日は都合が悪いが日曜の朝に来なさいという。


 さて、気が落ち着いたら、お腹が空いてきた。食事に街に出掛ける事にする。ホテルの横の駅前通りを市街地に向かって進む。ここは不思議な街だ。金曜日の夜は町の人達全員が街に集まって来たかのように、人、人、人だ。ポポロ広場の近くのリストランテがよさそうだが、まだ、準備中らしい。繁華街を一回りして時間を潰す。


 夏はラヴェンナでも音楽会や芸能会が所々で開催されている。ラヴェンナには正式な音楽祭があるのだが、時期は6月上旬だからとっくに過ぎている。この音楽祭では毎年テーマを決めてプログラムを組むらしい。名指揮者のリッカルド・ムーティが音楽監督として、オーケストラの演奏会やらオペラが上演される。


 店のカウンターに夏の音楽・芸能祭のパンフレットが置いてあり、ノッコが読みながら『チェロとフルートの演奏』があると言う。だが、どうしても場所が分からない。

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