次はロメイの家に行く。この街は観光用の案内標識が小さいながらよく整っていて、歩いていても分かり易い。ロメイの家も観光客はおらず、家の管理人(学芸員風な若い男)が「下手な英語ですが、よろしければご案内しますよ」と近づいて来た。せっかくだからとお願いする。いずれにしろロメイの家については何も知らないのだ(ロメオと違うぞ!)。
説明によるとロメイの家は15世紀の中頃立てられた。ロメイは銀行家として財をなし、ボルソ・デステ侯と姻戚関係にあり、社会的にも高い地位ににあった。当時の生活の様子が判るように、そのままの状態で保存されていた。中庭を中心に左翼から右翼に移動しながら説明を聞き、2階を一周して別れた。さすがに地方の金持ちの家だっただけはある。これだけのものが残っているのはフェラーラにとっては財産だろう。
ロメイの家から歩いて来て、カテドラルを訪れる。カテドラルはロマネスク・ロンバルディア様式で、クレモナのドゥオーモのように静かで優しい趣がる。堂内は至る所に無数のローソクが灯っている。カトリック教会ではローソクをお灯明として教会へのお布施の一部としているのだが、ここは異常にローソクの明かりが多い。祭壇毎にローソクが火の海のよう燃えている。夏の暑さに加えてこのローソクの熱さが耐えられない。ここを出る。とそこは広場になっており、人々で賑わっている。
ここから右側にあるエステンセ宮に行く。この城はルネッサンス期初期の14世紀末に建てられ、ミラノのスフオルツア城同様、戦国時代の城の面影をとどめている。ここには、私の好きなリッピ親子のフレスコ画の部屋があるらしいのだが、『昼寝の時間』にさしかかり、どうしても入れない。メガネをかけた男性の観光客が我々同あっちこっちのドアから入館を試みているが駄目だ。
ミネソタの遠い日々
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