レシートが切符? - 054 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 今時日本じゃこんな小さなレシートはスーパーでも使わない。これをチケットと呼ぶのは、市立博物館とはいえ無茶苦茶だ。『郷に入れば郷に従え』主義を貫いて我慢して来たつもりだが、こんなやり方をしているところはイタリアでも、我々が歩いて来た限りあり得ない。市営とは言え、横暴としか言いようが無い。気分を悪くして、せっかくのジョットも印象が悪い。ダンテに地獄に落されたスクロベーニの呪いが残っているかのようだ。


遠い夏に想いを-ジョット01  もともと、アレーナ礼拝堂とも呼ばれるこの礼拝堂はローマ時代の円形劇場の跡地に、悪どい高利貸のエンリコ・スクロヴェーニによって建てられたものだ。ジョットに壁画の注文がきて制作が始まったのが1305年、約700年前だ。ダンテが『神曲』を書いたのはラヴェンナだが、その時、スクロヴェーニの父親を悪徳高利貸として地獄に落したのだ。この小さい礼拝堂の内壁にはジョットにより67景におよぶキリストの生涯が描かれている。まさにジョットの礼拝堂なのだ。


遠い夏に想いを-Last Supper  壁画も中には「最後の晩餐」が描かれている。ジョットは使徒を横2列にして描いている。ユダだけは後輪がなく、スクロベーニだろうか、お金をこっそり手渡している。ローマカトリックは何時からマグダラのマリアとユダを悪者扱いにし始めたのだろうか。青をベースにしたジョットの壁画を見ていたら頭がボーっとして、目がチカチカしてきた。


 パドヴァの駅まで歩く。サン・アントニオとガリレオとタルティーニとジョットの街ともお別れ。駅にある小さな荷物預かり所でバゲージを取り、フェラーラに向けて汽車に乗る。フェラーラまで1時間だ。

 ミネソタの遠い日々 - New (シカゴへの旅を追加) -
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