またある日、アカデミア橋の向う側の裏道を歩いている時、チャオが「おしっこがしたい」と言い出し、運河にしろとも言えず、はたと困っていた時、向うからおばあさんが杖を突きながらゆっくり歩いてくる。
今では信じられないが裏通りとはいえ人通りはなく、店屋も見当たらない時だったので、地元のおばあさんなら判るだろうと思い訊いた。
「この辺に公衆トイレはありませんか」
「公衆トイレはないだろうよ、だけど、その先に床屋があるでな、わしが行って話してやるよ」
そう言いながら、杖を突きつき30メートルほど行って、床屋のドアを開けて叫んでいる。
「ここは床屋だ、トイレなんぞ貸す訳にゃいかねーな」
床屋のおやじが怒鳴っている。
「外国の子供だ、何とかしてやれや」
おばあさんもやり返す。
「この先にカフェがあるからそこで借りろって伝えな」
おばあさんが戻って来た。
「本当に有り難うございました。いや、この近くにカフェがあることが判っただけでも有り難いです」
そう礼を述べて別れた。カフェに入るとノッコはチャオをつれてトイレに飛び込んだ。あの時のカフェのエスプレッソが確か一杯40リラだったっけ。テーブルで飲むと高いので、カウンターでの立ち飲みだった記憶がある。
ミネソタの遠い日々
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