ドゥカーレが今のように形になったのは14世紀の中頃らしい。ドゥカーレ内に入る。サン・マルコ寺院とドゥカーレの間の門から入り、白い石造りの広い中庭に出る。中庭から右手の『巨人の石段』を登り、ドゥカーレの中に入る。
ここはまさに豪華絢爛の言葉そのままの素晴らしさである。そして、ティントレットやヴェロネーゼの大作が続く。もう圧巻と言う以外言葉がない。各部屋を巡って、ナポレオンの侵略によって終焉するまでの一千年にわたるヴェネツィアの栄光そのものを見る思いである。
ここでは詳しくは書かないが、ヴェネツィアに興味のある方は『海の都の物語・上下』(塩野七生氏・中公文庫)を読まれたい。
ドゥカーレを出てから、隣のサンマルコ寺院に入る。雲行きが悪くなってきて雨がぽつりぽつり落ちてきた。私が列に並んで、ノッコが広場の反対側にあるホテルに傘を取りに行く。ノッコは思ったより時間がかかった。
内部はビザンチン風のエキゾチックな装飾や絵画であふれている。もともとは、9世紀に聖マルコの遺骸をアレキサンドリアから運んで来て安置するために建てられた聖堂なのだが、最初の建物は焼け落ちて、今見ているのは11世紀に建築が始められたものらしい。
聖堂内の上部を見上げると、内壁が鈍い金色に輝き、その中に壁画が描かれている。ドームの内側にはモザイク画で12使徒が描かれ、その他の壁面にはフレスコ画やテンペラ画で描かれている。聖堂としては、エキゾチックな東洋趣味だが、キリスト教はもともと中東地域でおこって、ギリシャやローマやエチオピアにまで広まったから、それは当然といえば当然なのであろう。
雲行きは悪いが、雨は止んだようだ
。インテルプレーティの音楽会が予定されているサンタ・マリア・フォルモーサ教会を経由してリアルト橋方向へ行く事にする。サンマルコの裏手のリストランテ・アチュゲの角を左に曲がり、運河を超えて右に折れ、更に左に曲がってしばらく真っ直ぐ行く。突然、サンタ・マリア・フォルモーサ広場に出る。
「フォルモーサ」とは「豊満で美しい」という意味だが、「豊かで美しいマリア」とは何と美しい名前の教会だろう。ここが例の音楽会の会場だ。堂内に入る。ほぼ正方形をした内陣は音を奏でるのには最適な場所だろうが、観客席は狭すぎる。95年夏のロンドンでのセント・マーチン・イン・ザ・フィールズ教会のような広さも2階席もない。どの程度の客が入るのか見当が付かない。この教会の起源は古く、7世紀までさかのぼる。現在の建物は15世紀に建てられたらしい。
ミネソタの遠い日々
- New (シカゴへの旅を追加) -
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ