最後の晩餐 - 007 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 やや暫くして順番がきて中に入った。壁画はかって食堂だった部屋の壁に書かれているのだが、部屋はガランとしていて何も無い。まだ修復中で壁画の汚れや、後世の加筆などを取り除くために足場が組んである。


遠い夏に想いを-最後の晩餐01  薄暗くて、ダヴィンチの壁画が殆ど見えない。目を凝らすとぼんやりと見えてくる。構図はダヴィンチ流の舞台配置だ。普通、10人以上で食事をする際に、こんなパネラーが壇上に一列に並ぶような座り方はしない。ティントレットが描くようにテーブルの周囲に人々を配置するのが自然だと思う。(写真上は戦後再建された直後の食堂)


 最後の晩餐を主題にした絵画・フレスコ画はじつに多い。大抵はユダがそれと判るように一人前面に座っているものが多い。カスターニョの「最後の晩餐」はユダのみが前列にいて、キリストとあとの11使徒は正面を向いて横一列に座っている。ダヴィンチも若い頃の修業時代にこの絵の記憶があったのかも知れない。


 ティントレットなど斜めにテーブルを描写して周囲に使途たちを配置し、キリストを角に座らせている(ヴェネツィアの項参照)。ジオットはテーブルの周りに全員を座らせている(パドアの項参照)。ラヴェンナのサンタポリナーレヌオーヴォ教会にある6世紀のモザイク壁画にはイエスを左端にユダを右端に置いて半円のテーブルをユダを含めて12人の使徒が囲んでいる構図がある(ラヴェンナの項参照)。フラアンジェリコのは使徒のうち4名が立っているという構図である(フィレンツェの項参)。


 さまざまな構図だが、14世紀までは「最後の晩餐」ではユダは12使徒の一員で区別はされていないが、15世紀に入るとユダが悪人呼ばわりされて、一人だけ光輪をはずされたり、一人だけ別に座らされたりし始める。この頃、どんな教義上の解釈に変化が起きたのかは分らないが。