フランスのビフテキ - 086 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 あの時は、パリに着いたばかりでお腹が空いていた。昼食には少し遅すぎたが、余りさえないレストランの窓を覗くと、店には客がいない。中に入ると若いギャルソンが出てきた。
「店、開いている?」
「ウイ・・・」
「どのテーブルでもいいの?」
「ウイ、どこでもお気に入りのテーブルを」


 テーブルは小学校の机のように整然と並んでいる。奥のテーブルに座って、チャオと私はステーキを注文した。ノッコはクロック・ムッシューなどの簡単なものを注文した。当時のフランス式ビフテキは結構かたい、だが、噛み切れないのではなくてチューイーである。スルメと同じで、噛めば噛むほど味が出る。私はフランス式ビフテッカが大好きになった。


 チャオに「旨いかい」と聞くと、「おいしい」とニコッと微笑む。日本人はアメリカ式で何でも柔らかくて食べやすいものを好む。ビフテキも霜降りで柔らかくジューシーなのが良いとされる。だが、フランス式は違う。ただかたいのではない。心地よい弾力がある。これが何ともいい。


 ビフテキは簡単に料理ができて消化もいい。日本で「お茶漬け」というが、フランスではそれに相当するのが「ビフテキ」だと聞いたが本当だろうか。


 当時、私はタバコを吸っていたので、食後の一服にと思ってポケットに手を突っ込んだがマッチがない。
「ギャルソンにマッチ貰ってくれよ」
これから奥様抜きで英語の通じないパリで生活しなければならなのに、ご主人はからきし意気地がない。ところが、ノッコはパリに来たばかりで、気分がハイになっていて、フランス語がちゃんと出てこない。

『フランス語の洪水だ、でも、喋るならちゃんと喋らなければ』の意識が強すぎるので緊張している。


 あの頃はレコードかテープの自習教材があるきりで、映画にも頻繁に行く訳にもいかない。CNNやテレビの2カ国語放送も無い時代で、フランス語が喋れるようになるには相当の努力が必要だ。何よりも聞き取りが出来なけりゃ外国語は上達しない。


 ノッコは、一瞬、単語が出てこない。
「マッチってなんて言ったっけ」
私はギャルソンを手招きして呼んだ。
「何かご用ですか」
「あの、えーと・・・」
私が手まね足まねでマッチを擦ってタバコに火をつける仕種をした。
「ア・・・、ウイー、アリュメット」
「あっ、アリュメットよ」
ノッコが喉まで出ていた言葉を叫んだ。
「何でこんな簡単な言葉が出てこなかったのかしら」

 そこで、外国語はうまく喋ろうとすると、緊張して喋れなくなるものだと発見する。私達がアメリカに行った最初の頃、私も同じ苦い経験を何度もしている。

ミネソタの遠い日々 - New -
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