ここは72年に初めてパリに来た時に泊まったホテルで、到着前にパリの日本航空にいた前述の富田さんが我々のために予約しておいてくれたホテルだった。今の我々なら決して高いホテルではないが、留学生の身分で3ヶ月もの滞在は不可能だった。(写真右はホテル・ベルソリーズ)
「アメリカからパリに来て、最初からわびしい場末のほホテルでは疲れるでしょうから、せめてこの程度はと思ってね」
後で彼がそう話してくれた。さすが、思いやりがあったんですね。3日泊まって、3日目に歩いてホテル・コンデにたどり着いて、ジュディに会った話は既にした。(写真左はホテルがあるリル通り)
今回もこのホテル・ベルソリーズに泊まりたかった。ところが何たることか、毎年8月の中旬は『ヴァカンスのため休業』となる。ホテルが休業するなんて想像できますか。夏休みのかき入れ時だというのに。夏には、この界隈の小さなホテルは殆どがヴァカンスで休業になる。だから、夏に来るとここには泊まれない。
ここは、いわゆる『プチ・ホテル』と日本で分類されているホテルで、部屋数が17部屋ほどしかない小さなホテル。17世紀末の建物だから古いのだが、内装は田舎風で可愛らしい。我々が泊まった部屋は6階の最上階で天井が3分の1ほど窓側に傾斜していた。窓からはパリの屋根が遠くまで見渡せ、右手にはエッフェル塔が空に突き出していた。チャオと3人ではベッドが部屋じゅうを占領してしまう。こんな狭い部屋でも風呂付きだったので随分助かった。
この通りは突き当たりが美術学校で、T字型の道路になっている。左に曲がるとセーヌに出る。右に曲がると医学部の前を通ってサンジェルマン大通りに出る。どちらに出るか。サンジェルマン界隈の方が思い出は多い。医学部の前にパリで初めて入ったレストランがあったはずだ。名前は忘れたが、それらしい店は見あたらなかった。(写真上はパリ大学の医学部)
ミネソタの遠い日々
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