パリの街並み - 083 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 パリでもロンドンでも建築物のサイズは大きい。アメリカの大都市では一区画をブロックと呼ぶが、一つの建築物でブロックを形成するほどである。英語を習い始めた中学生の頃、ブロックという言葉が直ぐには理解できなかった。当時、地方都市ではそれほど大きなビルはなかったし、丸の内のビル街は高さ制限がありブロックをなしていなかった。ニューヨークで始めてその意味がつかめた記憶がある。


遠い夏に想いを-シャルトル  ロンドンの主要地は大げさに言えば貴族の所有地みたいなものだから、彼等の作りたいように作れる。ロンドン市内に各々のビル街を作り、90年くらいの単位で賃貸するという。町並みが統一されて美しくなる訳である。


 私はアンヴァリッドには入ったことがない。昔のパリ滞在中の日曜日だった。夫婦で珍しく口喧嘩になり、私は一人でシャルトルに出かけた。汽車はボーヌ平野をぬけて目的地に着いた。くだらないことで喧嘩をしてしまった。2人とも連れてくればよかったと、後悔しきりだった。


 シャルトルの大聖堂は12世紀に建築が始まったのだが、直ぐに焼け落ちたために、左右の塔の様式が異なる。「シャルトルの青」といわれるステンドグラスは美しい。フランスの歴代の王様はランスの大聖堂で戴冠式を行うのだが、アンリ4世はシャルトルで戴冠式を挙げたという。(写真上はシャルトルの大聖堂)



遠い夏に想いを-エッフェル塔  一方ノッコとチャオはエッフェル塔に行って塔に昇った。チャオは高いところが好きだから物凄くご機嫌だったそうだ。その折りに、アンヴァリッドに立ち寄ったと言っていた。だから、今回は時間の関係でアンヴァリッドには入らないことにした。(写真左はエッフェル塔からの眺め)




 アンヴァリッドはルイ14世が負傷兵のために建てた、その名の通り廃兵院なのだが余りにも立派過ぎる。ヴェルサイユと共にフランス革命につながる財政破綻の遠因になっているような気がする。

 今回は凱旋門の脇に空港バスが着いたが、アンヴァリッド駅がアンヴァリッドの公園の左手にあり、空港バスのターミナルになっていたはずだ。昔、オルセー駅が閉鎖され使えなかったので、ヴェルサイユへ行くのにこの駅から汽車に乗ったのを覚えている。(写真下はアンヴァリッド駅)


遠い夏に想いを-アンヴァリッド駅  今回はアンヴァリッドをスキップして、そのまま、セーヌの左岸を歩いてコンコルド橋の袂に出る。下院が置かれているブルボン宮を背にして、橋の正面はコンコルド広場。真ん中にエジプトから運んできたオベリスクが立ち、その背後にはマドレーヌ聖堂が望める。何と素晴らしいシンメトリーなのか。ただし、物凄く冷たい感じのする景観である。


遠い夏に想いを-アンヴァリッド絵  コンコルド橋は正方形の石が整然と組まれている。冷たい感じで好きになれない。1791年の革命期に完成し、バスティーユ牢獄の石材が使われているという。革命の激動期を見抜いてきた橋だけに、血なまぐさい処刑と流血の毎日を眺めていたに違いない。ロココ様式のデザインというが(ロココ様式は大好きなのだが)、どうもこの橋は好きになれない。でも、そんな橋があってもいいと思う。この橋はコンコルド広場の正面入り口なのだから。

 ミネソタの遠い日々 - New -
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