アレクサンドル3世橋 - 081 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-アレクス3-01  グランパレとプティパレを右に眺めながら、アレクサンドル3世橋を渡る。この橋は正に豪華絢爛にして、端正な姿を今にとどめている。パリ市を流れるセーヌに架かる32の橋の中で、言わずと知れた最も華麗な鉄橋である。1900年のパリ万博を記念して造られただけあって、1889年のパリ万博に建てられたエッフェル塔と同じく、当時の時代の最先端であった鉄で造られている。石の橋と違って優美な曲線が右岸から左岸へ流れている。



遠い夏に想いを-アレクス3-03  寄贈者のロシアのニコライ皇帝が出席して1897年に行われ、橋の名を父君の名前をとってアレクサンドル3世橋と名づけた。ニコライ2橋よりもアレクサンドル3世橋の方が勇壮な響があり、いかにもパリの橋の名に相応しい。余り歴史はない橋だが、さまざまな装飾が施されており、この橋の袂からの眺めは格別に美しい。(写真は橋名と起工年と開通年を記した飾り)


 このアレクサンドル3世橋といい、アルマ橋といい、これらの橋は不思議とロシアに関係が深い。アルマ橋の名の由来はクリミア戦争でアルマの戦いにロシアに勝利したのを記念して付けらものだ。アレクサンドル3世橋は左岸のアンヴァリッドに通じている橋だ。アンヴァリッドにはロシア遠征で苦しめられたナポレオンの遺骸があり、ロシアとは因縁が深い。


遠い夏に想いを-アレクス3-02  橋の正面奥に金色に輝くアンヴァリッドのドームが広い広場の中央に聳えている。更に、金色の天使像がのる背の高い柱が橋の両脇を守る。常に、シンメトリーの構図となる。これが西洋美学の基本だから文句のつけようがない。


 その昔、チャオとチュイレリーで夕暮れの空を眺めていた。傍に、すらりと背の高い中年の男性が同じように立って同じ方向を見つめている。突然、アメリカの英語で彼が言った。
「やあ、私が何を考えているか解るかね」
「そうだね、私と同じことを考えていると思うよ」
「うん、奇麗だ。美しい。余りに美しい。全部破壊してしまいたいほど美しい」
彼はじっと動かなかった。我々は一声かけてその場を立ち去った。街が美しいと、恐ろしい衝動に襲われるものだが、実際の行動としては、これを守ろうとする情熱も同時に起こる。

 ミネソタの遠い日々 - New -
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