セーヌの風景 - 080 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 今日は市内を歩き廻る予定だ。まずは、真っ直ぐホテルに戻る。バッグを部屋に置いて、着替えをし、出かける前にジュディに電話を入れ、夜の訪問時間を確認して、再びパリの街へ飛び出した。


 さて、思い出の場所をどう回るか。そこが問題である。何せ、今日の午後しか残されていないのだから。考える時間も惜しいとばかりに、ホテルの前のマリニヤン通りを反射的に左に進む。シャンゼリゼ大通りからこんなに登り坂になっているとは想像もしていなかった。更に進むとその先はモンテーニュ通りになる。そのまま上がって行くとアルマ橋の袂に出る。急いで歩くので息が切れる。


遠い夏に想いを-アルマ橋  突然、緑深いセーヌ河岸が現れ、セーヌ越えに、右手にエッフェル塔が、左手にアンバリドの金色のドームがパノラマのように広がる。河岸の樹々は深い緑に覆われ、その合間からセーヌの川面が見える。時折、満員の乗客を乗せたバトー・ムッシューやフラットベットの貨物船が行き交う。セーヌのこちら側は川沿いに並木が茂っていて、余り人通りがない。その昔、この辺をよく歩いた記憶がある。



遠い夏に想いを-アルマ橋からの眺め  あの時は、チャオと2人だった。薄曇りの夕暮れ時で、人通りは殆どなかった。木陰から突然2、3人の男達が現れた。アラブ系の若者達だった。タバコをねだられた。しつこいので半分ほど残っていたタバコのパックを全部くれてやった。当時、パリには旧植民地からの滞在者が大勢いた。石を投げたら、アフリカのアラブ人か東南アジアのベトナム人に間違いなく当たるといわれるほどで、サンジェルマン、サン・ミシェル、左岸の裏街には彼等の顔があふれていた。

 

 私達はアメリカやイギリスでは中国人に、フランスではベトナム人に間違えられた。アフリカ、特に、チュニジアやアルジェリアやモロッコなどの旧フランス植民地からの一部の若者は始末が悪かった。物乞いをしたり、ちょっと貸してくれと借りたものをポケットに突っ込んで逃げて行ったり、気のいい我々貧乏人にははなはだ迷惑至極であった。今では、こんなことでは済まないだろう。ガラクタの心配より命が危ないのだから。


 当時、物騒なところといえばイタリアのローマやナポリ、イタリア南部の都市くらいだったが、今はヨーロッパ中が危ない。