館の左側は小さな庭園になっている。低い灌木やバラが植えられ、散歩道に沿って石像や水鉢が配置されている。殆ど手入れがされていない。小さな庭園を回遊して、館の裏手にある広場に出た。裏手のテラスから北東に広がる大地が望める。イギリスのビーヴァー城の裏手の広場(テラス)からの眺めと同じ趣向だ。支配階級の住まいは洋の東西を問わずどこも同じコンセプトとプランに基づいている。
晴れた日には、ここから20キロ先のランス溪谷やディナン周辺まで見通せるとのことだ。ここの館はルイ15世時代の法務長官であったカラドゥーク・ド・シヤトレ侯爵、ルイ・ルネの旧居邸であった。
余り時間もないし、シャトー内部は入館禁止で、さして見るべき処もない。この場に別れを告げ、先を急ぐことにした。この辺りはブルターニュ地方の中でも正直言って余り見るべき観光名所がない。とにかく時間が限られているのでディナンまで真直ぐ行くことにした。
暫く走った。狭い曲りくねった道に入ると小さな町がある。右手の坂道の奥に素朴な造りの教会の塔が一瞬見えた。モニックが気を利かして、見て行くようにとフィリップを促す。
車を歩道側に止めて一旦外へでた。教会の前では地元の老若男女が盛装して行列を作ってゆっくりと堂内に入ってゆく。
「聖母マリア被昇天祭の礼拝だわ」
モニックが呟いた。
聖母マリア被昇天といえば、そのフレスコ画がイタリアのパルマのドゥオーモにある。ルネッサンス時代にコレッジオが描いた大作の天井画だ。イエスに手を引かれて天国へ上ってゆくマリアの絵には感動を覚える。構図といい光の取り入れ方といい素晴らしい傑作だ。
ブルターニュやアイルランドなどには、いまだに「パルドン祭」というカトリックの行事が残っている。地域毎に催されるもので、時期はさまざまである。ローカルでとり行われるから、地元の聖人に捧げられる。このベチェレルの町で行われていたのは、聖母マリア被昇天祭の礼拝に続けて執り行われたパルドン祭であった思う。
ミネソタの遠い日々
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1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ