ブルターニュとブリテンは同じ意味だ。イギリスはブルターニュと区別するのにグレート・ブリテンと自分達の国を呼んだ。5千年前までは、この両地域は歩いて海峡を渡れたという。ケルト人が来るずっと前にブリトン人という種族が移り住んでいた。これがブルターニュの地名の起こりで、イギリスと同じ祖先である。イギリス人はケルト人、サクソン人、ノルマン人などと混血しているが。
古代ケルト人が住んでいたカンペールとかコンカルノー、それともゴーギャンが10年間も住んだポン・タヴァンを訪れるか、今はブルターニュには属さないが、古いブルターニュの首都のナントなどに行かなければブルターニュを見たことにならない。
レンヌからはディナンが一番近い。サン・マロは観光地としては素晴らしいが、大戦で全て破壊され現在の町は戦後復興されたものだ。ディナンなら夕方まで帰宅できるし、古い町がそっくり残っているという。かつてシャルトルやランスへ出掛けたことがある。古い町だが、これらは教会を中心に発展した町だから庶民的な町造りにはなっていない。
やがて道がT字路に突当たった。
「小さなシャトーがあるけど、興味が有るなら見て行こうか」
フィリップが訊く。
シャトーと名の付くものはワインのシャトーでさえ見たことがないから勿論OKである。シャトーにも語義上ピンからキリまであって、上は王宮・砦城からイギリスのマナー・ハウスと同じような大敷地内の館まで、更に下はワインの醸造所まで様々だ。
道路の反対側に小さな駐車場があり、そこに車をとめた。シャトーは『カラドゥーク・シャトー』と呼ばれ、小高い台地の上にある。下の入口に受付があり、ここで料金を払う。なだらかな坂道を歩いてのぼる。
高台の上に出ると、突然、左手の砂利道の奥に黒い館が視界に入った。さして大きくもないが、端正な形の館である。痛みがひどく住む人がいない。そのせいか、何か恐ろしい過去が秘められているような暗いイメージがつきまとう。館の左右の花壇や芝生に夏の彩りがあれば、まだフランスのシャトーの華やかさも残っているであろうに。今年の夏は全てを裸にして、その醜さだけを晒らし出してしまった。
ミネソタの遠い日々
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