安レストランが出す観光客相手のお定まりの定食。美味しい筈がない。観光シーズンだから値段だって安くはない。しかし、ムード音楽の代わりにギャルソンの口笛。曲はプレスリー。この若いのは大したものだ。どんな客にも笑顔を絶やさない。腰も低く、動きも軽やかだ。これではストレスが溜らない訳がない。本当に、日本の若いウエイターどもにこの男の爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。
72年にパリにいた頃は、日本料理店と称する店は2軒くらいだったと思う。今はパリに限らず、『すし』が世界的に大ブームらしい。すしがアメリカに初めて進出したときから、なんて馬鹿なことを始めたのだと、少々腹立たしかった。『日本の食文化』を海外に広めるなどと鼻高だかの連中には怒りを覚えた。日本人は魚がなければ生きてゆけない。魚は農業や畜産業のように人為的に再生が不可能である。
現代の日本では子供から大人までマグロのすしを日常的に食べる。戦前での話だが、商家だた私の家では暮れは忙しく、料理する暇がない。だから、使用人の労をねぎらうために寿司の出前をとった。すしを食べるのが暮れの一度だけ。今に魚が取れなくなって、すしどころではなくなるだろう。黒マグロもワシントン条約で取れなくなるに違いない。キャビアと同じ運命をたどるだろう。
外が少し騒がしくなった。アトラクションが始まりそうな気配だ。痩せた初老の大道芸人の小男がさかんにわめいている。上半身裸の火吐き男だ。観衆を後ろにさげ、縄張を決めて、檻の中の熊みたいにうろうろ動き回る。何か叫んだ。
「なんて言ってるんだい」
「カメラは駄目って。写真を撮るならお金を出せって」
奥様の通訳付きは有難い。隠れてカメラをむける者がいて、見付けると芸人の男は大声で怒鳴る。しかし、ビデオ・カメラを回している連中には何も言わない。金を払ったのだろうか。ガソリンを口に含んで、一気に噴出す。間発を入れず、トーチを突出す。ゴーという音と共に1メートル以上の火柱が吹き上がる。吐く息には酸素がないから火は逆流しないというが、やはり、ぞっとするほどの炎だ。
トゥールネル橋のたもとにある天下のラ・トゥール・ダルジャンでは川向こうに照明で浮上ったノートルダームをアトラクション代わりにして、金持は豪華で美味なる鴨料理に舌堤を打つのだそうだ。また、パッケージ旅行や団体旅行で来た人達は三つ星レストランでお定まりのディナーを食べる。しかし、パリまで来てこんな酷い大衆食堂へ連れて来られたら訴訟ものであろう。
ミネソタの遠い日々
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