ギャルソンがメニューを持ってきた。いたって、シンプルだ。店の名は『ラ・コショナイユ』、ノッコの説明だと、豚肉の家庭料理とでもいうことになろうか。ところが、店の名前とは関係なく、手書きのメニューには観光客目当ての定食ばかりだ。いわゆるフランス料理なんかじゃない。どこの国でも食べる『洋風料理』だ。豚肉の家庭料理などメニューの何処を探しても載っていない。選択の余地が無いのに、取り敢えず赤のハウス・ワインをグラスで貰って考えることにした。
定食は上中下で、いわゆる松竹梅の3種類。この店では中の竹で充分だろう。こんな所で気取って上を注文しても、出てくる料理に味の差はない。違いはボリュームだけだ。
外のテラスの2人は食事をしているのか、イチャついているのか判らない。店の中では『大工の頭領』が白の葡萄酒を1本テーブルに置いている。メシを食いながら、ワインを口に含む。コロコロと口の中で回してから、目を心持ち細めてゆっくり飲込む。いかにも旨そうな様子は日本の酒のみと同じだ。
タバコのヤニや油煙で壁が黄ばんだ薄暗い店内。小さくとも、うなぎの寝床みたいに奥行きのある店だが、ギャルソンは1人だけ。客は3組しかいないのに、「忙しい、忙しい」の連発である。ところが、このギャルソン、とにかく面白い。四六時中、歌を口ずさんでいる。見掛けはシャンゼリゼ大通り界隈のカフェのギャルソンと変らない。観光客相手の英語は充分だ。しかし、シャンゼリゼ通りのギャルソンみたいに観光客ずれしていない。
「アメリカの歌が好きなんだね」
「そうさ、この曲知ってる?」
腰を曲げ、顔を近づけ、口笛を吹いてみせた。
「ああ、知っているよ。『ラブ・ミー・テンダー』だろう」
「そう、おれはプレスリーにぞっこんさ」
「・・・・」
「どうしても行きたいんだ。メンフィスにね。アメリカのテネシーのさ」
得意げに次から次と曲を変えて鼻歌を歌っている。テラスの若い2人の客は知らぬ顔。『大工の頭領』は背筋をシャンとしたままニヤニヤしている。
「ストレス。分るかい?」
「ああ、あの神経的なやつだね」
「そうさ。こんなところで毎日同じ仕事をしていると、鼻歌でも歌ってなきゃストレスにやられてしまうんだよ」
ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ