パリの日本人 - 055 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ホテル・コンデに前にも書いた日本人の若いカップルが同棲していた。女の子はフランス語を勉強に、男の子はレストランで皿洗いをしながら料理の勉強に来ていた。みんな貧しく、孤独だった。
「パリに居る日本人はひどいんですよ」
「どうして?」
「一日でも先に来た者は偉そうな顔をして威張るんです」
「へえー」
「だから、日本人は街で見掛けても、お互いに声も掛けないし、顔も見ないようにしているんです」


 私達も別に日本人に関心が有る訳でもなかったが、子供連れが当時は珍しかったので、時々声を掛けられた。ある日、リヴォリ通りを3人で歩いていた。リヴォリ通りは当時も観光客めあての店屋が多いところだったが、一軒の店のウインドウを覗いていたら、日本女性の店員がいて声をかけてきた。
「お子さんが一緒だったので、観光客ではないと思って」
「まあ、短期の留学で滞在しているので、旅行客と同じようなものですよ」
「日本の観光客は物凄いのです。このウインドーにあるものを全部くださいなんて、こちらは有り難いのですがね」
私たちは驚いてしまった。当時、金持ちの庶民や農協さんの団体旅行が流行りだしたころだった。我々はとてもそんなお金がないので、リモージュのちっちゃな飾り皿をひとつ買うのがせい一杯だった。


 この偉そうな態度には、日本人特有の年功序列が関係している。特に、年齢の差は社会的に色々な面で影響する。日本人が人に年齢をよく訊くが、これは先輩ぶるためだ。相手が自分より上なら下手に出る、自分より下だと突然横柄な態度と言葉づかいになる。これを日本人は無意識におこなっている。だから若い人は特に疲れる。外国では人に歳を訊くことは滅多にない。外国人に対しても日本人はこんな態度をとらない。パリという外国の都市にいると、この日本人の言動はあまりにも異常で目立つことになる。


 この2人の若いカップルは、 先輩振りを発揮して、ベトナム人が経営する左岸の中華料理屋に私達を招待してくれ、ご馳走までしてくれた。なかなか気持ちのよい若者達であったが、彼等のパリ滞在も長くは続かな かったようだ。


 モンパルナスで11号線に乗換遠い夏に想いを-ノ-トルダム えてシャトレで降りた。セーヌの右岸に沿ってポン・マリーまで散策する。パリは歩くのに限る。空が少し薄曇りになってきた。風が出てきて一段と爽やかになった。

 ポン・マリー橋を渡ってサン・ルイ島を横切りトゥルネル橋からセーヌに浮かぶシテ島とその上に聳えるノートルダムを眺める。川面をじっと見詰めていると、シテ島がまるで20万トン級の巨大船のようにゆっくり進んで行くような錯覚に落ちる。