江藤淳の講演 - 054 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 グラシエールの次はサン・ジャック駅。この駅も高架線上にあるが、線路わきの町並に記憶があった。ここの駅には1度だけ降りたことがある。


 まだ、オデオンのホテル・コンデの屋根裏部屋にいた頃だった。「サン・ジャックにあるホールで江藤淳の講演があるから行ったら」


 誰か忘れたがそう教えてくれた。日本を出てからほぼ2年、この種の集りには出ていなかったので、ノッコとチャオの3人で出掛けた。500人は収容できるホールは結構の入りで、当然の事ながら日本人ばかりである。それにしても、こんな難しい(子供にとってはつまらない)講演にチャオが文句も言わずに椅子に座っていてくれたのは有難かった。




 江藤淳の人気絶頂期であった。演題は忘れたが、明治維新と日本人の同質性についての話であった。当時は日本経済が急速に発展し始め、商社を先兵隊として海外進出が始まった頃だった。アメリカにはニッサンのブルーバードやトヨタのカローラが学生達に重宝がられ、家庭のセカンド・カー、サード・カーとして使われ始めていた。



 日本の発展を説明するのに、『ホモジニアス対ヘテロジニアス論』(単一民族対多民族)とか『農耕民族対狩猟民族』とかは充分に説得力があった。イザヤベンダサンの『日本人とユダヤ人』がベストセラーになった後だったし。


 たしかに、多民族国家が世界の主流であるなか、日本は単一民族国家に見える。しかし、今思えば、それだけで日本の発展を説明できるだろうか。国が発展するにはいろいろな要因がある。農耕民族と単一民族だけでは説明ができない。アメリカは多民族国の見本みたいな国だ。今では、このような単純な発想はしないだろう。当時はみんなが懸命に一丸となり前進することだけしか考えない社会だった。何かその理由が欲しかったのだろう。


 その発展のおかげで、当時、ヨーロッパには、学生、芸術家、外交官といった旧型のパリ在住の日本人とは異なる種類の日本人が集り出していた。