さて、そろそろ、この街にも別れを告げる時間となった。
駅前のサン・ジャック大通りまで来てノッコが言う。
「新しいINODEPに行ってみる?」
「地下鉄(高架になっている)の下をくぐって、この通りを行けば大して時間は掛からないだろうけれど、行ってどうするの?」
「そうか、もうINODEPに泊めてもらうなんてことは有りそうもないから無意味ね」
いまだに好学心に燃えて、留学願望が吹っ切れないでいる。2人は顔を見合わせて苦笑してしまった。通りのこの辺りは並木が多く、青々とした木々の歩道は広々としている。
地下鉄駅の近くに「ニコラ」が同じ場所にあった。ニコラは大手の酒販売店で、パリ市内だけでも100軒以上の店舗を所有するという。
酒の飲めない私が時々葡萄酒を買いにニコラに立寄ったものだった。当時、日本では葡萄酒がまだ変人の飲物で、国産ではサドヤとかメルシャンくらいしかなかった。一番安いボトルが500円から700円に値上がりした頃だったろうか。とても不美味くて飲めた代物でなかった。酒税の違いかフランスやイタリアは安かった。5フランでメドックAOCが買えた。2.5フランから3フランでVDQSが買えた。安いテーブル・ワインなら僅か1フランか1.5フランだ。それでも節約したい時は、ニコラでなくて近くのコンビニのような店で安いワインを買う。当時1フランが60円弱だったから、150円でVDQSが買えた!VDQSでも当時の日本の葡萄酒の味より遥かにましだった。フランスでワインが安いのは酒税が低いのが一因だ。
当時、日本ではフランスの輸入ワインが特売のカルヴェのグラーブで1.200円はした、イタリアの丸いフラスコ瓶のルッフィーノがやはり同じくらいの値段だった。だから、日本に帰ったらフランスのワインは飲めない。金が無くともパリで買って飲むのが理に適っている。これが屁理屈であった。人間は自分の行為を正当化するためなら、どんなおかしな理屈でも並べたてる。でなければ、自分自身をやってゆけない。また、これをお互いにある程度認めあうことで、世の中がうまく行くものなのだ。