モノプリ - 052 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-monopli  この通りの右側にはスーパーマーケットのモノプリがある。殆んどの日常品や食料品はこの店で調達した。INODEPの冷蔵庫は共同利用だから1日分を買って食べ残した分を貯蔵する位しかスペースがない。だから、殆んど毎日、外出の帰りに立寄ってその日の分を買った。


 モノプリはもともと安物衣料品の扱いが本業で、食料品はスーパーの体裁の一部にしか過ぎない。従って、衣料品が1階で食料品は地階になっている。規模はさして大きくないが、外国人の我々には手頃で便利な店であった。


 今回も地下から入り、1階へ抜けてみたが、地下は食料品で1階は衣料品と雑貨で以前と同じだ。地下の階段の昇り口にあった酒ビン回収カウンターが無くなっている以外は、18年前と何一つ変わっていない。



遠い夏に想いを-美容院  モノプリを出て表に抜ける通路の角までは商店が並んでいる。今は少々古ぼけたが、小綺麗な美容院があって、この店の前を通るとノッコはよく言ったものだ。
「今度パリに来たら、絶対に美容院へ行く!」
これは今回もかなえられそうにない。お金は少々あるが、時間がないから。


 ノッコのこの言葉には訳があった。日本を出てアメリカとヨーロッパに滞在した2年間、美容院と床屋の敷居は1度も跨いだことがなかった。当時はお金がなかった。日本に帰って出来ることは、極力やらない主義だった。


 日本料理も72年のメモリアル・デイの休日に、アメリカの友達の家を訪問するためシカゴに行った際に、田舎の駅前食堂のような薄汚れた日本食堂に1度入っただけだ。でも、あの「めし」は旨かった。大きな切り身のマグロの刺身は三段重ねで皿からはみ出していた。刺身のツマも大根の千切りもない。ただ赤身の刺身が皿にのっているだけ。そして、正直、これほど美味なマグロの刺身は始めてだった。米もカルフォルニア米で、チャオは腹がはち切れそうになるまで黙々と食べた。満足し切ってニコニコしている顔を見ていると、「やっぱり、日本の子なんだなー」と改めて感心してしまったものだ。


 アメリカの大学で美容院に行く者は、裕福な日本人留学生の奥さん以外、殆どいなかった。アメリカの女子学生や学生結婚の女房どもはカーラーとセット・ローションで何とかしのいだし、男達は女房達にハサミでチョキチョキやってもらってお終い。そうゆう時代だった。パリに来ても我々の事情は少しも変わらなかった。そこで「美容院に行きたい」がノッコの口癖になった。私も最後の剃刀の刃で2ヵ月ひげを剃った。終いには顎の皮がヒリヒリ痛む程のケチケチ振りだった。