カフェから電話 - 051 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-アレジア  色々教えてくれたのは、パリに住んでいた洋子さんだった。カフェで国際電話が掛けられるなんて、日本の常識では考えられなかった。この点だけはさすがに国際都市であった。普通はジュトンを買って利用するのだが、国際電話は店のおやじが交換につないでくれる。相手と話し終えると、おやじが交換手に料金を聞いてくれて、こちらが相当額をはらう。INODEPにかかって来た電話は、いい顔はしないが、係りが部屋まで取次いでくれる。しかし、こちらからは電話を掛けさせてくれなかった。


 カフェも最近では若い人達に人気が無くなり、その数がどんどん減っているらしい。こんな所にも効率主義と金儲けの風潮が押し寄せて来ているのだ。そのうち、本当にパリの街並みが変わってしまう日が来るかも知れない。


遠い夏に想いを-マップ03  アレジア通りの北東の角では定期的に朝市が開かれていた。野菜や果物、鳥や兔が歩道の台に並べられる。さして大きくもなく、閑散とした市だった。鴨や鶏や兔が羽や毛や頭を付けたままぶら下げられているのは、余り楽しいものではないし、食通でもない私には食欲をそそる光景でもなかった。


 ここから先はサンテ通りになる。通りの左側には馬の頭部の彫り物が店の軒先にドーンと突出している馬肉店がある。戦後の食糧不足の頃に、近所の肉屋さんからこっそり手に入れた軍馬の肉の塊をお袋さんが煮込んで食べさせてくれて以来、馬刺も桜鍋も食べない私には無縁な店であった。

遠い夏に想いを-Asterix
 アレジアという名前に記憶があった。ローマ時代にシーザーによって書かれた「ガリア戦記」だ。その最大の戦いがあった場所がアレジアだ。近くに地下鉄のアレジアという駅がある。何か古代の遺跡らしいものが残っていないか。
ある日、ノッコとチャオの3人でアレジアの駅まで歩いた。


 店屋を覗きながらぶらぶらとアレジア通りを歩いたが、何も見あたらい。このアレジアは単にガリア戦争でフランス(当時はゴール)が負けたのを記念して(誇り高いフランスらしくないが)付けられた地名に過ぎなかった。本当のアレジアはブルゴーニュ地方のアリス・サント・レーヌというところがその場所らしい。しかし、フランスには『アステリクス』シリーズというコミックがあって、人気を博している。当時、シーザー軍に対抗した勢力の英雄らしい。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ