公園の門を入ると真中に三日月型の大きな池がある。当時、チャオを連れてよく来た右手の砂遊び場は無くなっていた。真直ぐ小道を進んで池のそばのベンチに腰かけた。
パリもこの辺までは観光客も旅行者も来ない。年寄りや乳母車を押す若い夫婦など、近隣の地域住民がほとんどである。リュクサンブール庭園なのフランス式庭園と違っていたってのどかである。池には大きな黒鳥と鴨が数羽水面に波紋を残して泳ぎまわる。
「当時より随分きれいになったなー」
「そうね。お花が多くなったみたい」
ゆっくり立ち上がった。夏とは思えない心地よい陽ざしだ。ゆったりと静かに流れる時間の中で自然のざわめきが聞こえる。池に沿って昔ながらの舗装された小道を歩いた。
当時は何かうっそうとして、余り手の入っていない自然そのものの、いかにもイギリス式庭園という趣があった。正面の小山への上り口に小さな橋があり、その下を水が流れ落ちている。この辺りも日本庭園のように石を敷き詰めて小綺麗になってしまった。
小山を上まで登りつめると、そこには砂場やブランコがあり、子供の遊び場になっている。むかし公園の入口の右手にあったものを移設したらしい。小さな子供達が母親に見守られながら大声をだして遊んでいる。子供達の声を後にして、シテ・ユニヴェルシテの駅の上を跨いでいる橋を渡った。
その昔、初めてこの橋の前に立った時のことを覚えている。何故か大変に驚いた。こんな静かなところに、いきなり電車が轟音をたててホームに姿を現したのだ。今でも何故か驚きが襲う。パリでは予期しない眺めなのかも知れない。
橋を通り抜けるとシテ・ユニヴェルシテの世界だ。まだ公園の延長だが、芝生にはビギニ姿の若い女達の白い肌が夏の光に輝いている。記憶にない光景だ。昔はアメリカのキャンパスでビギニ姿の女の子達が広い芝生の上でよく日光浴していたものだが、当時のパリではこうゆう姿はプールなどの水辺以外では殆ど見かけなかった。やはり時代は確実に変わてゆく。
ミネソタの遠い日々
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