ヨーロッパの庭園 - 047 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 さて、裏手からINODEPの建物に入った。背の高い尼さんとすれちがった。私が声を掛ける。話すのはノッコだ。
「18年前に2か月半ここに住んでいました。ここはまだINODEPですか」
「そうですか。でもINODEPは別の場所に移りました」
「当時、エリザベート寺田というシスターに紹介されてここに住み、色々と思い出があるのです」
「彼女のことは知りません。でも、新しいINODEPの住所を教えてあげましょう」
「ここはもうINODEPじゃないのですね」
彼女は玄関の脇にある守衛室の若い男性を呼んだ。彼はメモ用紙に住所を書いてノッコに渡した。
「グラシエール駅のすぐ先ですから近いですよ。行ってみたらどうですか」
「ええ」
そう言って我々は礼を述べ、玄関から外に出た。


 レイユ通りをはさんで前はモンスーリ公園である。1878年のナポレオン3世時代に完成した公園で、パリの3大公園の一つといわれている。ここの公園は、幾何学模様のフランスやイタリア庭園と違って、イギリス式庭園と呼ばれていている。余り手を入れていない、うっそうとした自然が残っていた。日本の近代公園がそうであるように、日本人の私達には違和感がなく、大変に親しみやすい、心が落着く場所であった。


遠い夏に想いを-ヴェルサイユ  フランス式庭園も悪くはないが、たかが幾何学模様の庭園を作って「自然に対する勝利(Triomphe)」などと叫ぶフランス人のアホさ加減にはついて行けない。自然を友として生活をしている東洋人、特に日本人にはそう思う。昔の日本人は自然と調和して生きてゆくことが当たり前だった。自然に対する優しさがあった。日本で人間が造った美しい自然といえば、私は躊躇なく「棚田」をあげるだろう。もう数が少なくなったのが残念だ。(写真は’72年にヴェルサイユ宮殿に行ったときのもの)


 しかし、ヨーロッパの自然が整然として絵のように美しいのは、この精神の成せる技である。幾何学模様の庭園だけに限ったことではないのだ。中世からめんめんと続いてきた自然にたいする考え方や接し方の違いなのだ。「人間中心主義で、自然は敵であり征服するもの」というユダヤの砂漠に生まれたキリスト教の精神が根底にあるからだろう。この傾向は時にカトリックの国に多いように見受けられる。