マーク・グレイ - 046 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-INODEP正面  また、帰国が近づいたある日、フランス語のクラスで一緒だったカナダ人のマークをINODEPに呼んで夕食を共にした。チャオはマークに本を読んでもらったり、色々教えてもらったりした。分厚い本をチャオが持ってきて、ページをめくり始めた。もたついていると、マークが割って入った。
「どれどれ、英語の本というのは、目次を甘く見てはいけないんだよ」
チャオが探していた頁を彼は素早く開いた。何事にもきちんとして落ち着いる男だった。英語でパパ以外の男性と話ができて、チャオは久々に上機嫌だった。


 ママは奮発してブッフ・ブルギニヨンを朝から準備していた。ミネソタにいた時にフィリップのアパートで夕食をご馳走になり、その時モニックが作ったブッフ・ブルギニヨン(牛肉のブルゴーニュ風赤ワイン煮)が余りに美味しかったので、レシピをもらってあった。ノッコはいつも目分量で料理を作っていたのだが、この時はレシピどおりに腕を振ったのだ。出来栄えは上々であった。
「今日のシチューは特に美味しいね」
「材料がいいからよ。ワインも牛肉も日本と違うし」
当時の日本のワインは国内産のブドウを使っていたので、今では想像もできないほどひどかった。赤はだだ酸っぱいだけで、フルーティさや若々しさとはほど遠い状態だったし、白もどういう訳か埃っぽい味がした。それでも1本500円以上した。

 この日は奮発して5フランで(当時の金額で300円だ)、AOCの一番安いブルゴーニュのピノ・ノワールを買ってあった。
「料理には飲むワインと同じ位のものが必要よ」
どこから仕入れたのか、たかが5フランのAOCなのに、通ぶったことを言った自分に笑い転げていた。


 マークは無料のシャワーにも入り、久し振りの家庭料理に大満足だった。私達は箸を使って食べた。マークは自分も使ってみたいと言う。予備の割り箸を器用に扱いながら感心したように言う。
「僕は東洋文明にある種の尊敬の念を抱いているんです。箸もそうです。フォークやナイフは武器や農工具そのものです。西洋人は人を殺す道具で食事をするのです。ところが、箸は違います。食事をするための道具としてつくられたからです」


 16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスがフィレンツェからフランス王のアンリ2世に嫁いだときに、イタリアの料理人とともにフォークなどの食器を持ち込んだ。それまでフランスでは食事は手で食べていたらしい。


 もし彼の夢がかなったら、素晴らしい外交官になるだろう。相手の国を理解し交渉にあたる外交官。新しい友を作り、耳を傾け合う。外国にあっては特にその素晴らしさを肌で感じる。