パリでの生活 - 044 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ここの建物はマリア会の所属で、修道女が地方からパリに来た時のための宿泊施設だと教えられていた。ノッコがパリ大学の第3校で知り合いになった洋子さんの紹介で、日本から来ていた修道女のエリザベート寺田さんという女性にお会いした。彼女は私達の窮状を察してここを紹介してくださった。


 当時、フランス・フランは約60円だった。三つ星のベルソリーズが110フラン前後、一つ星のコンデが35フランだった。INODEPの最初の部屋は11フラン。その後、暫くして、同じ階に15フランの少し広い部屋が空いて、私達3人は引っ越した。少し高くなったが、やっと親子3人が落ち着いて寝られるようになった。


 何よりここが良かったのは清潔だったことだ。エレベーターもあった。各階に共用のシャワールームと台所があった。シャワーは無料で、台所には電気冷蔵庫があり、自炊者は冷蔵庫の中に自分達の場所を決めてバター、チーズ、ハム等を保管した。ただ、時々ものが消えていることがあった。誰かが失敬していったのだろうが、使用料くらいに考えて諦めざるをえなかった。


 住人もさまざまだった。子供連れは私達だけだったが、一人住まいの若い人達が多かった。国籍もさまざまで、アルジェリアあたりから来た若者達が大声で騒ぐので一番目立った。


遠い夏に想いを-パリの夕景  細長い部屋で、北西に面して窓があり、高台なのでパリの街が一望できた。エッフェル塔もモンマルトルのサクレ・クール寺院も見えた。そして、何よりも美しかったのは、日暮れにパリの空を真赤に染める夕焼けだった。


 部屋に入ると左側に洗面台があり、その先に作り付けの白木の細長いテーブルが壁に取り付けてある。突き当たりの窓側にチャオのために小さなベッドを入れ、右壁に置かれたベッドに私とノッコが寝た。2人が寝るには狭かったが、ミネソタでもダブルベッド(といっても、フレームなしのスプリングマットだけ)を使っていたので、我慢はできた。今ならとても無理だろう。

 ミネソタの遠い日々 - New -
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