7号線でプラス・デイタリー駅へ行き、6号線に乗換えてグラシエール駅で降りる。その昔、ノッコが通学で通っていた路線だった。6号線のこの部分は地下鉄なのだが高架になっている。この先のビルアケム橋を渡る時に、セーヌ川の向こうにエッフェル塔が望めるあの素晴らしい眺めとは比較にならないが、高架線の上から眺める庶民的な街並も捨て難い。
ところが、何を勘違いしたのか、乗換えの時に反対側の電車に乗ってしまっていた。何となく景色がおかしいなと思いつつも、18年も過ぎたのだから街の様子も変わるだろうなどとノッコと話しているうちに、電車はセーヌ川を渡ってベルシー駅まで来てしまった。
慌てて飛下り、反対側のフォームに渡る。ここらはまだ旧式のままだから、自動改札口で切符を自動的に剥奪されることもない。こうゆうおおらかさが残っているのは有り難い。最近は急激に視力が悪化し、標識、案内図、注意書、説明文、地図等いちいち眼鏡を掛けないと読めない。眼鏡が煩わしくて、全て勘を頼りに判断してしまうため、思いもかけない間違いをすることが多くなった。
グラシエールの改札を出て駅前に立った。高架線の下が駅になっている。この殺風景さというか、駅前的な街並が全然ない。ここも昔と変わってない。自分達がここに住み続けているような奇妙な感覚に襲われるほど街の様子はそのままだ。タイム・スリップしてバック・ツー・ザ・パストだ。
この辺りはパリの南端に位置し、東京でいえば代々木あたりの街並みの感じだろうか。下町という土地柄でもないし、それかと言って、高級住宅街でもない。街並にも特徴がないし、美しさが有る訳でもない。しかし、自分達が住んでいた所と駅がそのまま変わらず残っていること自体がすばらしい。
グラシエールという駅名はパリでも奇妙な名前だ。氷室を意味するので、不思議に思っていた。その昔、この近くにはビエーヴル川という小川があり、途中に池や沼を形成しセーヌ川に流れ込んでいた。そこで自然氷をつくていたらしい。それが駅名の由来であった。その後、ビエーヴル川は汚染が酷くなり、暗渠にされてしまった。
ミネソタの遠い日々
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