パリの植物園 - 041 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 パリの植物園は広くてなかなか立派であった。アンリ・ルソーがこの植物園に来て、「蛇使いの女」や「夢」などの熱帯地方の絵を描いていたという。とは言っても、恋人同士ならいざ知らず、植物に興味も関心もない親子が何度も訪れるほど楽しい所ではない。


 チャオは出かける時は何時も幼稚園のマークの入った小さな紺のショルダー・バッグを担いでいた。そこにはチャオの全財産がはち切れんばかりに押込まれていた。殆どがアメリカから後生大事に持って来たものばかりで、『チャーリー・ブラウン』のポケット・サイズの英語の本が2冊、ガリマールのポケット版の世界地図集、小さなノート、エンピツに消しゴム、キヤンディーにチョコレート、その他、輪ゴムだとか訳の分らない雑多なもので一杯だった。チャオにとっては全て大切な財産であったから、何時も全部持ち歩くことを主張した。


 植物園を一回り散歩したあとは、ベンチに腰掛けて、本を読んだり、地面に小枝で格子を書いて陣取りゲームをしたりして時間を潰した。絵を描いたり、英語で文章を書いたりと、チャオは自分の時間をどうやって過ごすか、その術を知っていた。


 ママは7月上旬から8月上旬まで毎日2時間以上授業があったと思う。6クラスくらいあって、入学時に先生と個人的に口頭試問があり、結果として上級クラスに入れられたらしい。午前中は授業があり、待ち合わせが午後になった。記憶がないとは不思議である。


 ジュシュー駅に戻って地下鉄に乗った。しかし、奥様はここがかつて学んだ分校とは、どうしても信じ切れない様子だった。確かに、この分校は自然科学が中心だから、奥様の勘は当たっていた。


遠い夏に想いを-diploma  後日談がある。91年の暮れに家を新築して、引っ越した際に、留学関係の古い書類が出てきた。修了書を見ると、やはり場所が違っていた。第7校ではなく、サントゥイユ通りにあるパリ大学第3校・新ソルボンヌ(Universite de la Sorbonne Nouvelle) だったのだ。最寄りの駅はサンシエ・ドーバントン。ジュシュー駅からサンシエ・ドーバントン駅は近い。それに、植物園に行くのにオデオン駅から地下鉄に乗ったらジュシュー駅で降りるのが一番便利だ。だから、私もノッコも帰りはジュシュー駅を使っていたから、第7校の周辺は記憶に残っていた。ジュシュー駅を降りたら反対の道を植物園に向かって歩くべきだった。


 今になって思うと、植物園でチャオと待っていた時に、授業を終えたノッコは南の方角(セーヌの反対側)から来た筈だ。それよりも自分で第3校に入学の申請書を書いて送っているのに、忘れるとはもってのほかだよ!何はともあれ、もう一度パリに来る理由が出来た。今度こそセンチメンタル・ジャーニーの締括りをやらなければ。たとえ校舎が全く変わっていてもだ。

 ミネソタの遠い日々 - New -
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ