パリ大学第7校 - 039 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 当時、フランスでは子供の躾は「子供として扱わないで、一人の人間として扱うべき」と主張するのが伝統的な考えだが、実際は大人の都合に合わせて扱っているいるとしか見えなかった。


 これは、昔から変わっていないようで、モーツアルトが幼いとき父のレオポルドと姉のナンネルの3人でヨーロッパ中を旅をして廻ったが、オーストリアではマリア・テレジア女王の膝に駆け上がって抱きしめられたり、幼少のマリー・アントワネットを「僕のお嫁さんにしてあげる」と言って楽しい思いをした。その後フランスに行ったとき、宮廷で皇女の膝に駆け上がろうとして、こっぴどくたしなめられたと記録に残っている。


 今は変わったと思う。第一、フランス政府の政策が素晴らしい。日本政府は出生率低下を改善するのに何ら効果的な手も打たない。産婦人科の問題も根本的な医療政策で大幅な改善を図るわけでもない。フランス政府から学ぶべきことは多くさんある。「子育て費用の公的負担」と「職業生活と家族生活の両立」を柱として、出産・子育て費用の支給や、託児所などの増設、働く女性には休暇の問題、その他の関連する政策を実行している。その結果、若い女性が子供を産む環境が整い、出生率が大幅に向上したのだ(統計ではフランスでは2.0人、日本は1.3人)。だから、今では子供に対する気持や態度が大きく変わってきていると思う。まさに「子供は国の宝」なのである。


 ただ当時、私たちがチャオをつれてロンドンやウィーンやヴェネツィアを歩いた時の経験や思い出からしてもフランスは特別だったと思う。それらの国の大人の子供に対する気持ちが如何に暖かかったことか。



 洋子さんは、しかし、私達にはとても優しく、何かと心を配ってくれた。学生食堂にも彼女が連れて来てくれた。ノッコは彼女と時々利用していたようだが、私とチャオは2度ばかり来たことがある。坂道の途中にあり、石段を4,5段登って食堂に入った記憶がる。クーポン券が必要で、何時も彼女が持っていた。だから、貧しいながら収入のある彼女にご馳走になったことになる。
「ここのポテト料理、美味しいのよ」
彼女はニッと微笑む。
質素でも、暖かい料理が外で食べられるなんて、夢のようだった(だが、この旅では場所が違うために発見できなかった)。


遠い夏に想いを-第7校  さて、そのまま進んでみたが、どうもそれらしい所が見当たらない。ノッコは場所の記憶が全くないと言う。時間が無駄なので角の店でクレープとミネラル・ウォーターのボトルを買って、歩きながら頬ばった。そのまま、エコール通りを渡って、分校の正門の前まで歩いた。


 全く変わってしまっていた。記憶にあるものは何ひとつ残っていなかった。神様が「いまさら行っても、何も残ってないぞ」と哀れに思って私達の記憶を消してしまったのかも知れない。門を入って右手には真赤なインフォメーション案内所まである。校舎は鉄骨造りのモダンな6階建てのガラス張りの建物に変わっていた。