私達が日本で大学生として過ごしたあの1950年代、実存主義に非らずんば哲学にあらずの暴力がはびこった。あの床の軋む木造2階建ての『新宿紀の国屋書店』の売場にはサルトルやハイデッカーなどの実存主義の書籍が溢れんばかりに書棚を占領していた。理解出来ようと出来まいと(理解出来なくとも、出来たような振りをする連中が大半)実存主義のヤスパースかハイデッカーかサルトルの本を1冊くらい本棚に飾って置かないことには大学生として格好がつかない時代であった。
ノンポリ学生だった私にとってはプレベールの詩集の方が魅力的だったし、『枯葉』を口ずさみ、字引を片手にガリマール版の「パロール」の『バルバラ』を読む方が楽しかった。
「ラペル トワ バルバラ・・・」とやっていると、ノッコに大笑いされたものだ。
かつてパリに居た頃、あの日は一日じゅう雨が降ったり止んだりだった。富田さんとエティエンヌさんとドゥー・マゴーで待合わせをした。フランス語が話せないチャオを元気づけるために、彼は私達をトロカデルロの海洋博物館へ連れていってくれた。
ここはなかなかの穴場で、子供連れか船に関心のある人はエッフェル塔の帰りなどに立寄るのも楽しい。但し、ナポレオン嫌は止めた方がよい。ナポレオンはフランス人にとっては英雄だが、どんなに偉そうなことを言っても周囲の国にとっては単なる侵略者に過ぎない。まさにベートーヴェンが「エロイカ」交響曲にナポレオン対する献辞を記したが、皇帝になったという知らせに表紙を破り捨てたという逸話が残っている。皇帝になり独裁者なったナポレオンに相当腹がっ立ったのだろう(但し、逸話だから本当かどうか判らない)。
この時はトロカデルロまで車で連れていってくれた。車中で車にからんだ国民性の話になった。
「アメリカでは、車はどうしていたんですか」
「最初の年は車なしで辛抱しましたよ。買物は近所の人達に連れてってもらって。夏休に入って、アメリカ人の友人が奥さんの使っているオペルのライトバンを持ってきて、休みの間使ってもいいと言うんです。本人は雨が降らなきゃ、自転車で会社へ行くからと。友達になったとは言え、そんな好意を受ける訳にいかないって、断ったんですが、彼、車をパーキング・ロットに置いて帰ってしまったんです」
「そんな、とても信じられないな。フランスでは。車を貸すなんて。ハンドルにも触れさせませんよ。そうゆうところは、徹底して割切っていますね」
帰りに寄ったモンパルナスの近くのプリュメ通りにあった彼のアパートで、遅い昼食をご馳走になりながら、いつのまにかフランス人気質とアメリカ人気質の比較談議になっていた。パリの人間はパリ人であってフランス人ではない。日本人もアメリカ人もパリに滞在し始めると、最初にこの壁にぶち当たる。これを乗越えられないと『フランス嫌い』になる。ひどい時はノイローゼにさえなる。