サン・シュルピス通り - 033 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 このオデオン通りにはシルヴィア・ビーチというアメリカ人女性が1913年に開いた英語本の書店「シェクスピア・アンド・カンパニー」という店があった。アメリカの作家ヘミングウエイやフィッツジェラルドもパリ滞在中は足しげく訪れ、彼女とも親交があった。


遠い夏に想いを-絵本  ジェームズ・ジョイスの「ユリシーズ」を出版したことでも名高い書店だ。当時のパリに集まる英米人には人気の書店だった。第二次世界大戦でドイツ軍にパリが占領されるまで店は続いた。当然、72年には既になかったが、この通りを歩くたびに、その記憶を呼び覚まさしてくれた喜びがあった。現在、同名の書店が別の場所にあるがシルヴィア・ビーチとは関係ない。


 さて、サン・シュルピス通りを教会に向かって歩いた。サン・シュルピス教会の脇を通っているガランシェール通りの角には小さな本屋があった。聖書や宗教関係の書籍以外に子供の本が置いてあった。当時、時折ここの本屋に行って、チャオのために『ティトウ・・・・』シリーズの絵本を買った。現在、店は当時のまま残っているが、本屋ではなくなっていた。


 この通りは、パリで唯一「すす落とし」を忘れたような、煤と汚れに覆われた切り通しのような路地で,陽が当たらず昼間でも薄暗いところだ。ロマン・ローランの『ピエールとリュース』に「聖シュルピス寺院近くの暗い狭い街を通っていた。彼らは・・・」とある通り、第一次大戦の時代から変わらないような陰気な道だ。

遠い夏に想いを-サン・シュルピス  サン・シュルピス教会の正面までくると、突然、道幅も広くなり、明るくなる。通りの右手には商店が並ぶ。イヴ・サン・ローランの店も昔のままである。当時オートクチュールはフォーブル・サン・トノレに集中し始めていたのだが、どういう訳かここにイヴ・サン・ローランの店があった。このあたりの界隈もあまり変化がない。


 オートクチュールといえば、あの頃パリ市内を散歩していて、とあるパッサージュ(アーケード)に迷い込んだ。そこに小さな店があり、『KENZO』と名が入った服飾品が並んでいた。
「KENZO?」と私がノッコに訊いた。
「服飾デザイナーの高田賢三よ」
1968年頃、高田賢三はパリに出てきたらしいのだが、もう1972年には日本人デザイナーがパリに進出し始めていたのだ。当時、日本人の服飾デザイナーがパリに進出するなんで驚きであった。


 教会の前の大きな噴水から水が勢いよくあふれ出ている。ここの教会は両脇に円筒形の塔を持ち、どっしりとした重量感のある建物だが、決して美しいとは言えない。教会そのものの歴史は古く6世紀にまでさかのぼるのだが、現在の建物は比較的新しく、18世紀の始めに完成されたものである。正面の石段を上り教会の中へ入った。お堂の中は訪れる人も余りなく静まり返っていて、老人が2,3人、ところどころに座ったまま動かない。

 ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ