今はすっかり贅沢になってしまって、日本からの若者は、学生でも四つ星に泊まって、ブランド品を買い漁り、シャンゼリゼ大通りのカフェ・テラスでギャルソンをからかって、大声をあげて騒ぐ。まるで1920年代の "Jazz Age”の頃のアメリカの若者達のようだ。今ではアメリカやヨーロッパの学生の旅行は質素で謙虚だ。現に日本旅行に来ている欧米の若者たちを見ればいかに節約しているかが分る。
当時このホテルにはカナダ人で米国の東部の大学から来ていたマークという青年が泊まっていた。大学の3年生で、夏休みを利用してパリ大学の夏期講座を受けに来ていた。カナダでは中産階級の出身だから、今の日本の学生の感覚からすると、一つ星のような安ホテルでなく、せめて三つ星クラスに泊まるのが当り前と思われるかも知れない。しかし、現在の日本の若者と基本的に判断基準が異なるのである。金の有無とか親の地位とかに関係なく、本人が学生で有るか無いかが行動を決める基準となる。学生の分際をわきまえるかどうかの問題だ。
マークは余り口数の多い方ではなく、歳に似合わない落着と博学振りを兼備えていた。大学を卒業したらカナダ政府で外交官を目指したいと夢を語っていた。チャオもパリに来てから、英語で話せるのはジュディくらいだった。しかし、男の子は女性より男同士の方が話があうのかマイケルを慕った。彼はなかなかの好青年で、チャオの話し相手になってやったり、本を読んでやったりして、チャオを大変に可愛がってくれた。
時には、オデオン駅のそばのカフェ・テラスへ行き、マークとチャオと4人で昼食をとって楽しい時を過ごしたりもした。その後5~6年して、消息はとぎれたが、マークはどうしているだろうか。あれから18年の歳月が流れたから、マークも40歳近くになっている筈である。外交官の夢は実現しただろうか。
ホテルをもう一度見上げた。玄関は綺麗になったが、建物や窓枠などは昔のままである。しかし、三つ星になったのだから、ホテルの内部はすっかり変わったに違いない。これで過去にきっぱりと別れを告げた。現場にもう一度来ないと、心のわだかまりが拭い切れない。何か犯人の心境みたいだが、これが真実のようだ。
コンデ通りを更に上がって3分ほど真直ぐ歩けば、リュクサンブール庭園にいける。オデオン駅のもとになった劇場のオデオン座は、コンデ通りの隣のオデオン通りをリュクサンブール庭園に向かって歩けば庭園に着く。1782年に完成したオデオン座は8本のドーリア様式の柱をもつ比較的こじんまりとした美しい建物だ。(前のページのマップを参照してください)
ミネソタの遠い日々
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