ホテル・コンデ - 028 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 昔、日本ではソルボンヌ大学(名称はその通りなのだが)などと言われて、パリ大学は歴史のない別物と誤解されたこともあった。それほどソルボンヌは有名であった。1971年にパリ大学は全部で13学部になった。72年に訪れたときには制度が変わったばかりだった。パリ市内に学部は7つあり(細かく学部が細分化されているのでパリにはかなりの数の校舎がある)、またパリ郊外やヴェルサイユにもあり、学生数も10万を遥かに越えるマンモス大学である。


 ソルボンヌは1968年の『五月革命』の際のパリ大生とリセ(高校)の学生の総本山であった。石畳を堀り返して投石に使われたので、以来パリでは石畳舗装が減ったそうだ。『五月革命』は硬直した教育制度や社会制度に反対する学生達のストライキから飛び火し、一般労働者のジェネラル・ストライキに発展し、警官隊と対峙し、投石や暴動が発生し、大変な社会不安をあおり、ドゴール体制を終焉に導いた。


 2006年にも「初期雇用契約」というフレキシブルな雇用法を政府が導入したため、学生・労働組合が反対し、ストで対抗しで社会が騒然となり、政府がこの法案を撤回する事態になったことなど記憶に新しい。学生運動や労働者の抗議などいまだに健在だ。これに比べて、日本の若者は一体全体どうなってしまったのだろうか。革命のパリがパリであるように、ソルボンヌはソルボンヌなのだ。

遠い夏に想いを-ホテル・コンデ01  再び、ソルボンヌ通りへ出た。ソルボンヌの正門はここではなく、この先のエコール通りにある。しかし、先を急がなければならない。時間が無いのだ。古いタピスリーがあるクリュニー美術館(ここにも以前入っているので今回は割愛した)を右手に見ながらサン・ジェルマン大通りで左に曲り、地下鉄オデオン駅の前に出た。


 この界隈も私達のパリ生活には欠かせない一部だった。ここから緩やかな上り坂をサン・シュルピス通りまで行く。角のバーの先に、今は三つ星のホテル・ルイⅡと名前が変わってしまったが、かつてのホテル・コンデがあった。格は上ったが、外観は殆ど変わってなかった。昨夜のジュディの話では内部がかなり綺麗に改装されているらしい。当時ここは一つ星のホテルだった。しかし、贅沢など言っていられなかった。初対面とは言え、頼れるジュディがいただけでも幸運だった。安ホテルの場合は特にそう思う。


 当時、パリに到着して3日間泊まったリル通りのベルソリーズ・ホテルはパリの日航支店に勤務していた富田さんが予約してくれたホテルだ。いわゆる、日本でいう「プチ・ホテル」なのだが、私達はこのホテルが大好きだった。しかし、三つ星のベルソリーズでは料金が高すぎて長期滞在には不向きだった。