郵便局の中は、東京の丸ノ内ビル街にある郵便局と余り変わらず、不思議と違和感がない。切手を買うのもフランスではノッコの役目だ。私の方は大して読めもしないチラシやパンフレットをノッコの為に集める係りで、読んでいるような振りをしてせっせとポケットに押し込む。アメリカ宛ての絵葉書はやっとのことで投函された。未投函最長記録は、70年に渡米した時、ミネアポリスのホテルで書いた両親宛てのはがきで2週間は毎日持ち歩いた。
ソルボンヌ通りに出る。とにかく人影がない。夏休み中の大学街は日曜日の官庁街と同じで誰もいない。殆ど駐車場と化したなだらかな坂道を下がって行く。右手の管理事務所らしい所で足を止めた。ガラス戸越しに老齢の教授風の男が太った中年の女性と話しているのが見えたからだ。
「分校の件を聞いてみたら」
「でもね」
ノッコは気が進まない様子だった。おかしな話だが、ノッコはこの旅行を始める前から分校の場所の記憶が定かでないと言っていた。18年も前の事だから無理もない。単位終了証を見れば分るかも知れないと言っていたが、忙しくて遂に捜さずに来てしまった。しかし、『フランス語教授法』のクラスに1カ月は通ったのだから、自他共に認める地理音痴・方向音痴にしても、覚えていないとは妙な話だ。
私も3度ほど校舎へ行った記憶があるが、正直言って正確な記憶は持ち合わせていない。植物園が近かったという記憶が頼りであった。
当時は写真もろくに撮っていなかった。『お金がない』が表向きの理由だが、旅行と生活の違いだと思う。ちなみに、当時の写真の枚数を数えてみると、3カ月近く居たパリでたったの15枚、10日間のロンドン旅行で30枚である。だから日常生活の場面、例えば、リュクサンブール庭園、モンスリー公園、パリ大学、ホテル等での写真が無い。従って、分校は記憶の中に残る情景に頼るしか方法がないのだ。