泉のほとり - 022 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

「これじゃ椅子の料金徴収係も商売が上ったりだね」
「そうそう、料金取りが来ると、よく逃げまわったわね。まるで、イタチの追かけっこみたいだったわ。あのベンチの方は無料だったわね」


 泉の水は一段と濁って汚水のようだ。昔は子供達が模型のヨットやボートを持って来て、この池に浮べ遊んでいた。白い日傘をさした若いお母さん達が優しそうな視線を投げかけている。のどかな微笑ましい光景だったが、今時こんなのんびりしたことをして遊ぶ子供はいないのかも知れない。夏休みだというのに誰もいない。
遠い夏に想いを-泉02
 池の周りの地面には鳩が群がっている。当時はもっと数も多かったし、何より、今の鳩みたいに痩せていなかった。かってその昔、若いヘミングウェイは腹を空かせてリュクサンブールの鳩を捕まえて食べたという嘘か本当か分らない伝説が残っているが、72年の頃は、ここの鳩は不気味な程まるまると肥っていた。今は、そんな鳩は1羽も見当たらない。それこそ、残らず食われてしまったのだろうか。ヨーロッパでは鳩の肉をよく食べる。余り美味しいとは思えないが、レストランで普通に出される定番料理だ。


 リュクサンブール宮殿の中には残念ながら1度も入ったことがない。京都の桂離宮と同じく、ここも事前の申請と許可が必要だった。フランス国会の上院が置かれているから当然かも知れないが、現在も変わっていない。あれ程ここへ通った割には、どうゆう訳か申請までして見ようという意欲が起きなかった。
遠い夏に想いを-泉03
 17世紀の初めにマリー・ド・メディシスがフィレンツェのピッティ宮を模してリュクサンブール公爵の敷地に建てたのがこの庭園だ。宮殿はピッティの方が壮麗だ。ここの庭園は平地に造園されているので変化の妙とか眺望の良さとかには欠けるが、ゆったりと広くて、歩いても疲れない点ではリュクサンブールがいい。何より手入れがよく、無料で一般に開放されているのがいい。


 宮殿の東側に目立たないが小さな泉がある。イタリアから輿入れして、波乱に満ちた一生を送ったマリー・ド・メディシスの泉である。泉は深い緑の木立の中にあり、まるで清水の柩のようにひっそりと横わる。ここだけは、どんな暑い夏の日でも、ひんゃりとした涼風が漂っている。清らかな水面には緑の葉影が揺れて、泉の底には硬貨が点々と金銀に輝いている。洋の東西を問わず、泉を見ると反射的に硬貨を投げ入れる者が多い。アメリカの大学生が数人、泉の回りに集まって賑やかに話している。男の子が女の子を泉の前の椅子に座らせカメラを向けている。青春の思い出がパリで一つ生れる瞬間だ。