72年のことが昨日のことのように記憶の底から蘇ってくる。ここからすぐ近くのオデオンのホテル・コンデにジュディを頼って移り住んだのは7月の初めだった。
チャオとママと3人でオルセー駅に近いリル通りのホテル・ベルソリーズから途中いくつかの安宿を覗きながら、結局オデオンまで歩いて来てしまった。ホテルに着いたのは夕方の4時近かった。次の日ここへ引越しをして、2週間近く住んでいただろうか。その間、殆ど毎日のように私達はコンデ通りを歩いてこの庭園を訪れた。
国立鉱山学校ぞいの一段高いテラスを右回りに歩いて中央の大泉水へ向かう。グレーの尼僧衣に身をつつんだ日本人のシスターが2人、スチールのテーブルに向き合って座っている。まわりにはピンクの花がこぼれんばかりに咲いている。すれ違いざまに、自然と無言の微笑みを交わした。
『お元気ですか。頑張ってらっしゃいますね』
『ご旅行ですか。パリはいかがですか』
声に出したら、こんな挨拶になるだろうか。
「エリザベート寺田さんはどうしているかな」突然、私が呟いた。
「ああ、そうね。日本に戻ったみたいだけれど、今はどこかしら」
当時パリで寺田さんはシスターだった。彼女には大変お世話になった。当時、40歳を過ぎていただろうか、静かでとても優しい人だった。
当時はまだ日本人が少なかったこともあり、外国で日本人同士が通りすがりに姿を見掛けたら、お互いに顔を背けて知らない振りをするのが通例であった。そして、外国、特にパリでは、シニオリティーが何よりも幅を利かせた。だから、1日でも先にパリに住みついる者が大きな顔をした時代だった。これらの日本人は何時、何処から来て何処に住んでいるかを知られたくない気持ちがあったのだろう。今では考えられないようなことが普通だった。
朝の10時過ぎなのに、人影は疎らで、大泉水の周りに置かれているスチールパイプの椅子に男が1人ボンヤリと座っているだけだ。
ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ