ヴァカンスで誰もいない街 - 018 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 72年の夏を思い出した。7月14日の朝、花火と飛行機の轟音と共に革命記念日の1日が始まり、繁華街の騒音と喧騒のうちに1日が終わると、次の日からは街の様子が一変した。ヴァカンス第1陣がパリを抜け出すと、車道からは車の姿が消え、商店の入口にはヴァカンスの告知が貼りだされ、街は静まりかえって、通りの大半は残った外国人に占拠されてしまう。今ではこれほど極端ではないが、やはり夏場は観光客が圧倒的に多い。


 切符売場の係員は若くて痩せぎすの男性で、フランス人には珍しく静かな口調で物腰が軟らかい。全てノッコがやってくれる。英語で勿論通じるが、分業方針は貫くことにしていた。夫婦の旅行はどちらかに余計な負担がかかりがちである。それに、自分でじかに人と接するのは、旅の楽しみのひとつであるから。


 さて、こんなに簡単に切符の予約と購入が出来るのなら、旅行案内書も余計な情報を提供せずに「機械のことなど無視して、切符のことは駅の切符売場へ直行しなさい」とだけ書いてくれた方がましだ。ただ、ヴァカンスが始まったいま、パリの人達も駅の切符売り場で切符を求める人は少ない。みなヴァカンスでパリにはいないのだ。大半の観光客はフランスに来ても、パリだけ見て飛行機で出発するから汽車には乗らない。ヨーロッパ域内からの観光客なら周遊券を持っているだろうし。


 駅の中のカメラ店でフィルム(90年頃にはデジタルカメラはまだない)を買って外に出る。物の値段も日本と違って余りにもまちまちなので最初は驚く。これは今も昔も変わらない。例えば、ここの店では、コダックの36枚撮りのカラーフィルム3本パックで90フランほどが、エトワール広場前の売店で何気なく同じものを1本買って70フラン以上取られた。後で驚いても後の祭りだ。


 日本では店によってこれ程値段差はないが、やはり地方の観光地では定価で販売している。むしろ、フランスの方が店各々の自由裁量度からみて当り前、とフランス人が思えば、日本の画一的なやり方が異常に見えるかも知れない。日本人やアメリカ人や英国人やドイツ人が何と言おうと、彼等にすれば、高いものを買わされた奴がバカという理論も成立つ。


 今の日本では価格破壊が進んでこんな状況もどんどん変っていいく。他の国のことなど言ってられない。駅のキオスクや売店以外は、街路地には小売スタンドが全くなくなってしまった。何となく淋しい気がする。

 ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ