時代が変わり、生活も変わった - 016 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ル・ムーランの料理はなかなかいい。豪華さはないが、パリの下町の女の子達のようにさりげなく小意気な味わいがある。野菜のテリーヌと牛肉の赤ワイン煮をとった。一本の赤ワインが料理の味を引き立てる。子供達の賑やかな話し声や笑い声。ジュディが時々「静かに」と小声で注意するが、いつの間か2人の声が大きくなる。


 新婚旅行で日本を訪れてから、長い歳月にはいろいろあったらしい。ポールのお父さんが亡くなって、おばあちゃん(母)がホテルを一人で切り盛りしていたそうだ。遂に元気なおばあちゃんも調子を悪くして、南フランスの方へ隠居することになり、ホテル・コンデを売り渡した。

遠い夏に想いを-ルイⅡ
「今では昔と違って、一つ星ホテルではやっていけないのよ。三ツ星とか星の数を上げるには、必要な設備が決められていて、改築するには莫大な費用がかかるの。個人経営のホテルって大変なの」


 その後、ポールとジュディは転々として、現在のアパートの管理人の仕事を得て引越してきたそうだ。
「一度、昔のホテル・コンデに行ってみたの。今は名前もホテル・ルイⅡって変わったけれどもね。ホテルの中は小奇麗になっていたわよ。ヴィオとノッコも行ってみたら」


 2時間ほどで食事を終えた。支払いの段になって、ジュディは私に払わせてくれない。今夜は素直にご馳走になることにした。一旦、ジュディの家に行き、ポールに挨拶をして帰る積りだった。ジュディは引越で落着かなかったことに気を使って、パリに居る間にもう一度来てほしいと言う。私達も時間に余裕はなかったが、レンヌから帰ってきた日の夜は予定がないので、もう一度来ることにした。ジュディが腕をふるって料理を作っておくとのことだった。


 我々が帰国して4年後の94年にもジュディは東京に来ている。娘のカロリーヌが学校で日本語を勉強している。カロリーヌが通うパリの学校にいる日本人の女の子が日本に帰国するというので、カロリーヌが彼女の家族と一緒に日本に来てしまった。夏休みを日本で過ごし帰国するときに、ジュディが日本まで彼女を迎えに来た。浅草など東京を観光して、多摩川の近くの私達の家まであそびに来てくれた。本当に楽しいひと時だった。


 もう、10時を過ぎていた。ホテルまでは地下鉄で2~30分だが、今日はロンドンからパリまで移動し、長い1日だったので、電車の中で居眠りしてしまいそうなくらい疲れた。でも、人に会えるのは楽しい。そして、友達は人生にとって何よりの宝だ。

 ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ