正面玄関の大きなガラス戸を押してなかに入った。左奥に管理人室がある。決して広い部屋ではない。ジュディが出てきた。72年にミネソタからパリに来て、オデオンのホテル・コンデでポールと同棲していた頃のオドオドしたジュディの姿はなかった。一家の主婦としての貫禄が滲み出ている。1年後の73年に2人は正式に結婚した。そして新婚旅行で日本へ来た時に、東京の中野にあった私達の狭い木造アパートを訪れてくれた。あれ以来だから、17年振りである。
ポールが入ってきた。少し肥って老けたが、歳だからお互いに仕方がない。しかし、昔の溌剌とした元気さが消えて、少し気力がない。その分、ジュディが気丈夫になった。夫婦とはこんなものかも知れない。
引越したばかりで部屋の中が雑然としていて、夕食の用意が出来ない。会えただけでも夢みたいなものだから、このまま帰ろうと思ったが、ジュディが外で一緒に食事をしようと言い張る。『マンション』の管理に誰かが残らなければならないルールがるので、ポールが残るという。と言うのは、ここの『マンション』は2家族で管理しているが、ヴァカンス中なので、ポール達しかおらず、出かけけられないのだと言う。
私達とジュディと娘のカロリーヌと近くに住む彼女の遊び友達の5人で外へ出た。ヴァカンス期間中、特に、8月の上旬から中旬にかけては、店を閉めているレストランが多い。夏のパリは小さな三つ星ホテルでも毎年8月は休みになる。開いているのはインド料理店くらいだが、私達は余り気が進まない。辛い料理が苦手なのと、パリまで来てインド料理というのも興ざめである。
なにせ、欧米にきたら日本料理店に入るのも馬鹿らしいと思っている夫婦だから。日本料理が食べたきゃ日本で食べたほうが美味いに決まっているし、値段も日本のほうが絶対い安い。
開いているレストランはないかと、通りの人達に聞いて回っているうちに、結局、ピタール通りとラ・コンベンション通りの角まで来てしまった。やっと、開いているレストランがあった。『ル・ムーラン』(上の写真)というテラスのない小さなレストランである。東京だと荻窪あたりにありそうなフランス料理店という感じだろか。さして広くない店内だが、ゆったりと席がとってあるので落着いて寛げるのがいい。
ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ