間違ってばかりいるんだから - 014 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 シャンゼリゼ・クレマンソーの駅で、思いがけず乗換え通路を間違え、13号線のホームへ出る筈が外へ出てしまった。自動改札のため後戻りができない。切符を損したし、少々腹立たしいが、自分の責任だからしょうがない。新しい切符で別の改札口から入り直す。その後も乗換えする度に、通路を間違えていた。その度に歳と視力の低下のせいにしていた。


 72年の頃はエトワール駅から西に延びる新しいデファンス線(現在は1号線)だけ自動改札が採用され、その他の在来線は全て係員がいる改札口で、乗換えを間違えるなど考えられなかった。駅の係員はその昔は女性が多かったらしいが、72年の頃は殆ど男性だった。のんびりとした改札風景で、独特の制服と帽子の改札係とも会話ができるほどだった。ある日、"MInnesota"と胸にロゴが入ったスウェットシャツを着ていた。
「なんじゃ、そのミ・ネ・ソ・タって」
「これですか、これはアメリカの州の名前で、大学のシャツですよ」
「うん、ミネソタ、ミネソタか」
通りがかりに、こんな会話が出来るほど余裕があった。


 20分ほどでプレザンス駅に着く。外は太陽が傾き夕暮れが迫っている。駅の近くのパン屋で手土産に箱入りボンボンを買う。どうした事か、ここでも道を間違えて、時間を無駄にする。欧米では道路に路線方式・通り名方式をとっているし、地図との整合性が完璧だから、地図さえ持っていれば、間違えることは殆どない筈だ。駅まで戻って、地図で再確認した。ここの交差点は4つの通り名の始点になっている。その一つがアレジア通り。


 昔、地下鉄のグラシエ駅が最寄の駅だった。駅を出てしばらく行くと、アレジア通りにでる。西に折れて、通りに沿ってしばらく進むとアレジアの駅に着き、さらに歩くとプレザンスの駅に着く。ここがアレジア通りの始点だった。かってアレジアの駅まで歩いた記憶がある。これを忘れて歩き廻ったために迷子になってしまった。


 鉄道のガードをくぐり抜け、ピタール通りに出た。月曜日の夕方とはいえ、街には不気味なほど人影がない。ヴァカンスで誰もいなくなったのだろうか。今ではヴァカンスをとる人達がだんだん少なくなってきたらしい。世知辛い世の中になってきた。しかし、今でも小さなホテルや商店などヴァカンスのために店を閉めてしまう所が多い。


 狭い通りの右手に30階くらいの高い建物が見える。その前を10歳前後の女の子が2人こちらに向かって元気よくやってくる。
声をかけられた。そして、我々が訪問客と分かると、
「ママが待っています。もしかして、場所が分らないのかも知れないって言うから」
ジュディの娘のカロリーヌだった。
いかにもフランスの女の子らしく、口を尖らせて、機関銃のようにポンポン喋る。友達と踊るようにリズミカルに、明るく賑やかに話しながら歩いている。この子達にここで会わなかったら、ジュディたちの住み家はとても捜し当てられそうもなかった。チャオからの電話といい、この子達との出会いといい、何か幸運に恵まれた旅である。

 ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ