エトワール広場まで歩いて、シャンゼリゼ大通を渡る。案内所で貴重な時間を無駄にしてしまった。ジュディの子供達に何か手土産をと思い、角のコンビニに入り、チョコレートかボンボンを探すがまともなものがない。不思議なことに、この辺りには菓子屋が一軒もない。
その昔、パリに住んでいた頃は菓子屋など探したことが無かったので、新しい発見であった。昔は通りのこちら側は映画館の多い所であったが、確か、ボンボンの秤売りをしている小さな店が一軒あったと記憶していた。止を得ず店を出て、ウインドー・ショッピングをしながら散歩することにした。
だんだら坂をリドのアーケードまで歩いた。懐かしさを急に感じてアーケードの中を覗いてみた。1926年につくられたこのアーケードは、パリの地下鉄の入口と同様にアールヌーボー風の柔らかな曲線と色彩に溢れ、ベルエポックの華麗さが漂っていた。当時は既にオート・クチュールはフォーブル・サントノレ通りに集中していたが、まだ、このアーケードの中には結構高級な洋装店が数多くあった。今は、どうでもよいアーケードに成り下がってしまっていた。
フランクリン・ルーズベルト駅から地下鉄に乗った。ノッコのすめで切符は回数券を買うことにした。旅慣れてない割りには頭の回転がいい。今回のパリは地下鉄だけで回れるし、同一料金だからこのほうが便利である。地下鉄のプレザンス駅へは、1号線に乗ってシャンゼリゼ・クレマンソー駅まで行く。ここで13号線に乗換え、シャティヨン・モンルージュ行の電車に乗る。
昔はシャンゼリゼ・クレマンソーは乗換駅ではなかった筈である。当時、13号線はポルト・ド・クリンシー駅からサンラザール駅までの短い線だった。またアンヴァリッド駅から北のポルト・ド・ヴァンヴ駅までが14号線であった。現在はサンラザール駅とアンヴァリッド駅との間が、シャンゼリゼ・クレマンソーを経由して、全路線13号線となった。時代が変わるのだから、何かが変わり、便利になる。
当時のパリの地下鉄は古臭い車両で黒光りのする外装と、内装もひどくていやな臭いのする電車だった。外側からボタンを押して自分が乗るドアを開くのは今も変わらない。閉まるときは、車掌が圧縮空気で同時に全部のドアを閉めてくれる。ロンドンの地下鉄の方が遥かに近代的だった記憶がある。但し、この方式は目的は違うが、ある意味便利で、現在、相模線の車両にも使われている。特に、冬場の寒風を避けるために、自分でボタンを押してドアを開き、乗ったら自分で閉める。乗客にとっては有り難いシステムだ。
東京は地下鉄に限らず、公共交通機関の混雑ぶりが最悪である。ラッシュアワーだけでなく、日常的に満員状態である。都市が広大で、人口密度が如何に高いかが分る。その上、ヨーロッパの住状況と異なり、都心部に生活の場がなくて、郊外に分散していくから、都心との往復に乗り物が欠かせない。その上、乗客のマナーは悪くなる一方だ。
ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ