人種差別ですか! - 012 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。


遠い夏に想いを-アリアンフランセーズ  パリに着いて直ぐだった。ノッコはクラスに出ていたのでチャオと2人で、ラスパイユ大通りにあるアリアンス・フランセーズに出かけた。


 結構大きな語学学校で、受付は人でごった返していた。先ずチャオが入れる授業があるかどうが聞いた。
「子供のためのフランス語クラスはありますか」
「あります」
事務的な冷たい感じの答えが女性係員から返って来た。
「何歳ですか」
「6才です」
「6才では入学できません」
これにはかなりショックだった。周りを見回すと、イギリスの子供が入学OKになって帰って行くところだった。どう見ても7才には見えなかった。
「あの子は何歳ですか」
女の事務員は、私が指差す方を見た。
「6才です。もう直ぐ7才になります」
「この子供も8月には7つですが」
「あの子はイギリスから来たので、困った時には英語で通じます」
「この子も、アメリカで2年間学校に通って、英語はぺらぺらですが」
「それでも駄目です」
私は頭にきて、大声で怒鳴った。
「これは何かの人種差別ですか」
「そんなことありません」
「この子はあなたよりも遥かに素晴らしい英語を喋りますよ。英語の問題ではなく、差別の問題でしょう」


 小学校のように7才になっていなければ全て入学は出来ないというのなら、なるほど、仕方がないとあっさり諦めるが、これでは人種差別としか考えられない。「日本人?」って何者?とでも言いたげな態度。日本製品も日本文化も関心がない。極端に言えば「フジヤマ・芸者」さえ知らない時代だ。今とは隔世の感がある。
いま思い返すと、旅行中はあちこちでよく怒鳴っていた。
「何を言われても、駄目です」
かたくなな態度を崩さなかった。


 理屈で交渉しても変わらないのなら、怒鳴って言いたいことを言うのが主義だった。
例えば、別の方法はないか考えてみた。私のクラスにチャオは入れないので、チャオは途方に暮れてしまう。私は高校時代に課外活動でフランス語をとっていたし、大学でも第二外国はフランス語だった。フランス語経済をとったのを覚えている。その後、興味を失いフランス語も喋れなくなっていた。折角、フランスに来たのだからと思ったが、私がフランス語のクラスなど探しても無駄だった。


 フランスの女性大臣が「日本人はウサギ小屋に住んで・・・」と言ったとか、溢れる日本からの輸入品を税関でストップさせるとか、そんなに昔のことではない。日本に対するものの見方に少々偏見があるだけだ。 今は日本の文化、特に食文化とかマンガ文化などのサブカルチャーがブームだからといって、日本人は浮かれていてはいけない。『東は東、西は西』なのだ。


 パリが嫌いになった最初の体験だった。そこで、来る日も来る日もベビーシッティング生活が始まった。当時は、フランスではイギリスよりも人種偏見が少ないといわれていたのに、このことはかなりのショックだった。


 チャオにとってもパリは辛い街だったに違いない。イギリスからの帰途、汽車の中でもらしたチャオの一言でも判る。もし、ここでフランス語を学ぶチャンスがあったら変わったかも知れない。第一、英語をマスターしてしまえば、ヨーロッパ語族の言葉ならすぐに覚えるものだ。日本に帰ってから、フランス・カトリック系の学校に復学したが、あっという間にフランス語を覚えてしまったのだから。

 ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ