ドル不安でフランが大混乱 - 011 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 エトワール近辺には思い出があった。72年にパリに着いてから2週間ほどして、ミネソタの友人のブルースから小切手が送られてきた。ファースト・シカゴ銀行振り出しの小切手だった。アメリカで入っていた自動車保険を中途解約したので、掛け金の残金が日割り計算で戻ってくるはずだった。その受け取りをブルースに頼んでおいたのだ。


 エトワール広場の近くにファースト・シカゴ銀行の支店があった。20ドルほどの金額だが、当時は貴重だった。中年の男性行員が出てきた。
「すぐには、換金できません。口座に入れて1週間くらい経ったら換金できるのですが」
「何故ですか」
「アメリカの本店に確認をとる必要があるからです」
「ある意味で、それは判りますが、金額は少額だし、何よりも、そちらの銀行自体が振り出したマネー・オーダー(銀行振出小切手)ではないですか。日本に帰ってからでもいいが、3ヶ月以上も先だし、提示期限も過ぎてしまうし」
はたと困ってしまった。
出来ない出来ないと主張するが、こちらも「それはおかしいよ」と、必死に粘って換金してもらった記憶がある。得になるなら「粘る」という性格ではない。しかし、理屈からいってもおかしいから粘った。


 当時、フランの値打は遥かに高く、1フランが60円くらいだった。アメリカは経済状態がひどくて、失業率は7%以上、為替相場は安定せず、街の両替商では商いが停止したりする始末。71年8月にドル・ショクが起きて、変動為替相場制が導入されていた。円・ドルは固定相場で360円だったものが、1ドル308円までドルが安くなっていた。


 そうゆう時は、少し遠いけれども、アメリカン・エクスプレスに行き、ドルをフランに変えた。すごく混んでいた。4~5ヶ所の窓口におのおの20人くらいの行列があり、かなり時間がかかったのを思い出す。アメリカン・エクスプレスは何があってもアメリカの名誉にかけても両替してくれるので、街でどうにもならない時には助かった。


 ある日、チャオをつれてアメリカン・エクスプレスの店に行った。相変わらず長蛇の列に我慢して並んでいたら、チャオが珍しくいらいらしてブスブス不平を言い出した。私がたしなめたら、いきなり叫んだ。
"You stupid dumb dumb, Daddy!"
(日本語に訳したらとんでもない言葉で、親に対して喋る言葉ではない)
私も大声で叱ることもできす。小声でたしなめた。
隣の列にいたアメリカ人のお父さんが笑いながら、「どこの子供も同じだね」とウインクした。丁度、チャオと同じくらいの歳の男の子が一緒だった。


遠い夏に想いを-opera  アメリカに居たときは為替のことは余り考えなかった。だから、ミネソタを発つ時に、ファースト・ミネアポリス銀行から全財産(大した金額ではなかったが)をフランスの銀行へ送金しておいた。パリに着いて直ぐに、オペラ座の近くのクレディリヨネ銀行へ行き、送金をフランで受け取った。予想していたよりも遥かに少ない金額だった。送金手数料と為替の影響で固定相場制の時に比べて20%くらい少ない。こんなにひどいとは思わなかった。

 ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ