シャンゼリゼ大通りの南側には何故か飲食店が多い。各店にはテラスが有って、一見同じような店構えだが、飲物中心のカフェ、食事中心のレストラン、入口はカフェで奥はレストランの混合型の違いがある。その他、ビストロ(居酒屋)があり軽食も出す。
昔、富田さんが昼食に招待してくれた日本航空の支店の近くにあるレストランもそのままであった。当時は貧乏旅行で、レストランで食事をするなんてことは贅沢の極みであったから、シャンゼリゼ大通りのレストランできちんと昼食をとったことがない。この時が最初で最後であった。赤葡萄酒を傾けながらの食事はとても美味しかった記憶がある。72年のパリ滞在中は、シャンゼリゼ大通りから一歩入った所にあったセルフサービス方式の安レストランに時折足を運ぶのが精一杯だった。
エールフランスの営業所の近くにある旅行案内所に立ち寄った。レンヌに行く汽車の時間と予約状況について知りたかった。案内所の中は昔のままだが、現在は旅行案内所の体裁をなしていない。入口の辺りは余り役に立ちそうにもないパソコンの画面が並び、ゲームセンターのなりそこないだ。一段低い右手奥のカウンターには係員が数名いた。ここだけは昔と同じであった。
18年前パリからロンドンへ行った時に、ここで旅行について教えてもらおうと思った。当時も決して親切な対応でなかったが、すったもんだの挙句、料金、時刻など最低の情報は手に入れることは出来た。
当時、最も強いカルチャーショックを受けた国はフランスだった。「パリはフランスではない」とよくいうが、我々にとってはパリはフランスであった。
私達は東回りでアメリカに行き、そこで生活をした。殆どカルチャーショックらしいものは経験しないですんだ。戦後いかに知らず知らずのうちに日本がアメリカナイズされていたか気づいて驚く程であった。
更に東へ飛んでフランスに渡り、初めて経験するショック、しかもパリは特別というか、ひどいショックだ。自分の経験では、文学も、美術も、音楽も、『アメリカ』よりも『フランス』に慣れ親しんで来たと思っているから余計ひどい。