パリのカフェで想うこと - 008 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ロンドンとパリでは時差が1時間あり、バッサノからマリニャンへの移動騒動もあり、既に4時を回っていた。時間がないので、ジュディの家に行く前に、シャンゼリゼを散歩しお土産を買うことにした。


 ホテルの前のマリニャン通りを右へ100メートル程歩くとシャンゼリゼ大通りに出る。そして目の前が地下鉄のフランクリン・ルーズベルト駅である。ホテルとしては少々便利過ぎる。変に聞こえるかも知れないが、私達は左岸のカルチェ・ラタン地区かその周辺を希望していたのだが、日時に余裕が無く予約が取れなかった。

遠い夏に想いを-エトワール広場  先ず、シャンゼリゼ大通りを上がる。大通りの沿いのカフェには観光客がテーブルに群がっている。私達も飛行機を降りてから何も口にしてなかったので、一軒のカフェに寄り、店先のテーブルに腰をかけた。


 ギャルソンは日本人と見るや下手な日本語で下品なことを口走る。日本の若い観光客の連中が面白半分に教えたのだろう。彼等も個人で行動しているなら、こんな馬鹿げたことはやらないのだろうが、団体となるとまるで別人のように振舞う。救いがたいが、ギャルソンに罪はない。


 久しぶりに苦いコーヒーで喉を潤しながら、まわりの心地よい騒音、光輝く表通り、行きかう人々や車、きびきびとした人の動きと弾けるようなフランス語の響き。パリに戻って来たんだなあという実感がわいてくる。何か昔を懐かしむようにじっと思いを巡らせて座っていた。


 通りに面したカフェのほとんどは18年前と殆ど変わっていない。角のフーケも時間が存在しないかの如く全くそのままであった。もしかしたら、フーケは、往年のシャルル・ボワイエとイングリット・バークマンの『凱旋門』の暗い時代と全く変わっていないのかも知れない。遠い昔に見た映画の場面を思い出していた。覚えているのはフーケの場面だけだった。


 戦後の何も無い時代、小学校の高学年か中学の頃だったと思う、よく姉や母親に連れられて洋画を見に行った。グリア・ガースンの「キューリー婦人」とか「心の旅路」とか、「わが谷は緑なりき」とか、ジョン・ウェインの西部劇が見たい年頃だたのに。


 しかし、変わらないことにこれほど価値を置くことは、フランスに限らず、ヨーロッパでは当たり前のことなのだろう。残すために頑固なだけでは説明のつかない一種の精神がある筈だ。『残る』のではなくて『残す』のだろう。我々とは根本的に違う。アイデンティティの求め方が違うからだ。