こんなのパリじゃない! - 005 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 誰も迎えに来ないというのも、気が楽で良いのだが、しかし、やはり何となく淋しい。72年のあの時は、富田さんの奥さんのエティエンヌさんが友達の若い男性に車を運転させてオルリー空港まで迎えに来てくれた。富田さんは、ノッコが大学生だった頃に仏文の同期で、その後フランスに留学し、パリの日本航空に勤務していた。エティエンヌさんとは初めてだったが、小柄な彼女の優しい話振りにはフランス女性特有のアクの強さがなく、私達をほっとさせてくれた。


 当時、飛行機はパリの南郊外にあるオルリー空港に着き、市内へは少々殺風景でわびしい田園風景が続いた。
「こんなのパリじゃないや」
突然、チャオが言い張った。車の中では皆がフランス語で話していた。パリでは英語が通じないことに少しばかり不安を感じていたのだろう。
「パリはセント・ポールと違ってすごい街なんだぞ」
飛行機の中でチャオに話していた。ここでも例によってチャオは英語で喋ったので、車に同乗していた皆が大笑いとなった。



 エールフランスの空港バスはエトワール広場まで30分で到着した。ドゴール空港はパリの北西に位置し、距離的には南のオルリー空港より遠いのだが、高速道路を経由して来るので所要時間は短い。


遠い夏に想いを-バス停

 とにかく暑い。さて、予約したホテルまで歩くか、タクシーに乗るか、地図とにらめっこになった。ホテルがあるバッサノ通りはエトワール広場を挟んで丁度反対側にある。歩いてもたいした距離ではない。ノッコは72年のフィレンツエでの苦い経験を今でも覚えていた。貧乏旅行の途中で立ち寄ったフィレンツエでタクシー代をケチって重い荷物を引っ張り、ホテルに向かって石畳の道を歩き出したのである。250メートルほど歩いて、結局、動きが取れなくなり、駅まで戻ってタクシーを連れてくる羽目になった。そんな結末が見えているとノッコは反対したが、私は歩くことを主張した。