夏の空港は人でいっぱい - 004 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ほどなく、英国航空機はシャルル・ドゴール空港に着陸した。夏の期間ので、ラゲージ・クレーム周辺の混雑振りは尋常でなかった。旅行客があふれ、その上、荷物もなかなか出てこない。30分以上は待っただろうか、ノッコはカートを握ったまま立っていて、コックリコックリ居眠りせんばかりである。疲れた様子だ。倒れそうになると、その度に私がそっと手で押さえてやる始末。


 やっとのことで、トランクを受取って外へ出た。さーて、これからはノッコにお任せである。全てノッコまかせ。



 今はどこの国でも、英語が通じるが、昔は一流ホテルとか有名商店などでしか英語が通じなかった。イタリアの安ホテルなどメイドは英語が駄目で、「フランス語なら話せます」とか、アテネの空港でいつまでも荷物が出てこないので、英語で訊いても理解されず、「フランス語ならで喋れます」と女性の職員にいわれたり、フランス語の力は偉大だった。フランス人は少々英語が解っても、「英語は分りません」と知らん振りをする者が多かった。今はそんな時代ではないが、私が全てコミュニケーションをとるよりも、ノッコにお任せの方が楽だし。



 TCをフランに替えるのに両替所へ行く。フランス人とは思えない金髪の大きなデブ女が小さなガラス張りのブースの中にデーンと座って、横柄な身振りで英語で答える。まるで、コンピュータ仕掛けの両替ロボットみたいだ。入国手続きを済ませてロビーへ出た。


 パリ市内行きのバス・ターミナルへ行きたいのだが、空港内の案内表示が要領をえない。こちらの理解の仕方が悪いのかも知れないが、ノッコでも駄目だ。フランスは相変わらず情報伝達に関しては落第である。アメリカからフランスに来ると良くわかる。アメリカは情報を与え過ぎて混乱する。フランスは与える情報が少な過ぎて意味がわからない。仏語は明晰な言語で、余分なことは不要で罪悪である、と言うのがアカデミー・フランセーズの偏屈じじいどもの誇りだ。

 大学での掲示板にも違いが出る。アメリカの大学で、関係する学生に掲示を出す時は、日時・場所は勿論のこと、理由・趣旨と必要な事前準備に至るまで事細かに明示するのが通例だ。フランス、例えば、パリ大学での経験だが「何日・何時にどこそこへ出頭せよ」としか掲示されない。大学だけでなく社会生活全般にわたって同じ違いが出る。但し、道路名表示だけは、フランスは行き届いていて素晴らしいと思う。どこの国にもいいところと良くないとところがあって面白いし、文句を言っても直るわけでもない。


 結局、一番奥の出口がバス・ターミナルへの連絡口であった。小さなターミナル待合室で切符を買い、15分程待って、白とブルーのエールフランスのリムジン・バスに乗込んだ。

 ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ