1972年にパリに来たのには訳があった。ノッコの短期留学だ。ノッコは大学の仏文科で卒論にロマン・ロランの『ベートーヴェン』を選んだ。フランス語と音楽家ということで、指導した教授も困ったらしい。彼女がピアノとチェロをやっていたせいだろうか。結婚して、フランス語も音楽も遠い存在になっていた。だが、もっとフランス語が上達したいという気持ちは強かった。
日本にいたときに留学先の候補を色々検討した。今と違って、留学を斡旋する業者がいる訳ではない。情報が少なく、全て自分で調べて、手続きしなければならない。ナンシーとかモンペリエなど地方の大学も検討したが、結局、パリ大学に落ち着いた。
日本から直接留学するには規制があり、外務省の試験を通らないと外貨が出なかった。68年頃、規制が改正されて自由に留学できるようになった。但し、外貨の持ち出しは1日10ドルまでだった。
我々の場合はアメリカから行ったので、外貨の問題は無かった。アメリカの殆どの大学は、夏期講習のプログラムとして、例えばフランス語なら、フランスの大学と提携して講座を開いている。ミネソタ大学はレンヌ大学と提携していた。ノッコはパリ大学に決めていたので、アメリカから直接パリ大学の分校に手紙を出して申請した。アメリカに居るのに、大学の仏文クラスを聴講し、フランス語ばかりやっていた。
ミネソタ大学で2年弱を家族と過ごし、夏休みと同時にパリに来た。パリでは私とチャオには時間は有るが、予定は何も無かった。チャオを相手に3ヶ月間パリで過ごしたが、滞在の後半に、10日ばかりイギリスに行った。英語が喋れる国だからチャオには大変楽しい旅行だったと思う。今回(90年)の旅ではイギリスからスタートしたために、フランスでの話が後回しになってしまった。
この72年の旅行から帰って、再びアメリカやヨーロッパに行くまでの間、月に1度は夢を見た。どんな夢かというと、ミネソタでもパリでもロンドンでも、ある目的地に行こうとして、行けども行けども到達しない。そのうち迷路に入り込み、迷子になってしまう。毎回、同じような夢だった。それが、一度ミネソタやパリやロンドンを訪れた後は、不思議とそんな夢は全く見なくなった。夢判断で分析すると、フロイト先生、どうなっているのでしょうかね。
ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ