ヴィクトリア駅での思い出 - 071 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ホテルの玄関を出てから、アッという間の出来事だったので、トランクを運んでくれたボーイにチップを渡す余裕がない。慌ててポケットに手を突っ込んだら、どうにもならない小銭ばかりだったが、急いでいたので、彼にウインクをして「これで全部なんだよ」と渡したら、「OK,OK」と笑って受けてくれた。
遠い夏に想いを-ラマダイン

 ピカデリー・サーカスからピカデリー・ラインに乗り、西へ向かって終点のヒースロー・ターミナル4で降りる。都心から郊外に向かう電車とはいえ、東京に比べて余りの空きように拍子抜けの感じである。東京の朝のラッシュ・アワーではこうはいかない。大きなトランクを持っていたので、他人の迷惑を考えて席には座らず、終点まで約45分程、少々疲れはしたがドアに寄り掛かって車窓からの眺めを楽しだ。


 72年の夏に、ロンドンからパリへ戻った際には、ヴィクトリア駅からフォークストーンまで国際列車で行った。チャールズとお母さんが駅まで送りに来てくれた。「また、すぐ来ますよ」と言って別れを惜しんだ。汽車はゆっくりとヴィクトリア駅を離れていった。
「パパ」(Daddy)
チャオが声をかけた。少し元気がない。
「何だい」
私が答え、隣のママも振り返った。
「パリに帰ると、また困っちゃうんだよね」(When we are back in Paris, I'll be in trouble again.)
気落ちして溜息をつくような声だった。
「どうして?」
「だって、ぼく、フランス語喋れないんだもん」('cause I can't speak French.)


 アメリカにいた時と同じように、英語と日本語の奇妙な親子の会話がロンドンで復活していた。この時のイギリスでの10日間程の滞在はチャオにとって最も楽しい日々だったに違いない。英国の庶民が話すコクニーはアクセントが強く、私たちには分りづらい英語だが、チャールズのお父さんが「チャオは全部理解しているよ」と言っていたように、何よりもイギリスを楽しんだのはチャオだった。


 海外で生活する家族にとっては当たり前の光景だが、2年間アメリカで小学校に通ったチャオは親に英語で話し、親は日本語で話していた。子供はほっておいたら、急速に覚えた外国語を失っていく。少しでも覚えているように、何とかしてあげなきゃと思った。