18年も過ぎ去った - 069 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 1972年の8月だった。ヴィクトリア駅のフォームでパリへの汽車を待ちながら、「また来ますよ」とチャールズのお母さんに告げて、再び訪れるまでに18年の年月が流れてしまった。あの時は本当に直ぐ来るつもりだった。少なくとも、5年以内には訪れたかった。しかし、アメリカに約2年滞在して、久し振りに帰国した日本はオイル・ショックを迎え、あわただしさが一段と増していった。私の仕事も変わり、生活も変わった。それだけの心の余裕も経済的な余裕もなかった。結局、チャールズのお父さんには2度と会えず終いになってしまった。

遠い夏に想いを-Northwest  今回、航空券を手配しくれた旅行会社の恭子さんにも、「来年にはね」と15年間言い続けて、その度に笑われたものだ。1986年に結婚25年の銀婚記念に2人でノースウェスト航空でアメリカへ旅立った。ノッコにとては14年振りのミネソタであった。やっと恭子さんに世話になったが、彼女は既に結婚し、子供も出来て旅行代理店をやめていた。85年に、彼女は小さな旅行代理業を始め、自分の夢をかなえた。私達はもう若くはないし、残りの人生にも少しは自分の時間に余裕が有ってもいい。

「本当に直ぐ来るぞ!」

私の呟きにノッコは微笑んだ。


 今日はすごく疲れた。オックスフォード・サーカスの駅に着いた時には既に8時を回っていた。とても、これからレストランを予約して出掛ける気力はない。ホテルのレストランにはもう一度という気にもならない。結局、一番早くベッドにもぐり込める方法として、最悪の選択をした。オックスフォード通りのバーガー・キングでハンバーガーとスプライトを買い、ホテルの部屋でかぶりついだ。


 まるで18年前の旅と同じだ。ただ当時はハンバーガー店などなかったから、街で買込んだ食糧を安ホテルの部屋へ持ち帰って、持参の皿にのせて親子3人で夕食にした。だから暖かい食事は夢だった。ハムとか生野菜とかチーズとかパンとか。ジュネーブでも、ローマでも、ウイーンでもこの方式だった。相変わらず貧乏性は抜けないが、これが私達に一番似合っているのかも知れない。


 寝る前に、ノッコはアメリカへ手紙を書いた。ケンブリッジで買った絵葉書がまだ残っていたからだ。ハンバーガーを食べながらテレビを見て、手紙を書いた後にシャワーを浴びてベッドにもぐり込む。ロンドン最後の夕食としては、余りにも侘しい。しかし、いかにも私達らしい。明日はまた大変な一日になりそうだ。早く寝るに限る。