今日もロンドンは朝から快晴だ。黒い小さなナップサックひとつの軽装でホテルを出た。オックスフォード・サーカスでセントラル・ラインに乗り、バックハースト・ヒルで降りる。駅から商店街のウインドーを覗きながら日曜日の早朝の静かな通りを歩いた。
クイーンズ・ロードの角の不動屋には写真付きの物件案内がでている。みな、14万ポンド前後の一軒屋だ。ロンドン市内から電車で30分も掛からないところで、3千万円前後だから、東京の状況に比べたらかなり安い。というより、東京でもこの程度の価格が順当なのだと思う。
「ロンドンに家を買って住もうよ」
ノッコはこともなげに言う。
「その前にロンドンで仕事を捜さなければ無理だ」
いいアイデアだなーと思っても、つい現実的になる。
ところで、話は飛ぶが、家の価格と言えば、昔住んでいたアメリカのセント・ポールやミネアポリスの街なら、市内から直ぐの古い木々が生茂る住宅街で、15万ドルで中古の木造一軒屋が手に入った。地方都市とはいえ、日本に比べ土地がかなり広いから格安である。ノッコは日本に住むのを諦めてもう一度中西部に住もうよと言うが、冬は人間の住む所では無いので、これもまた夢に終わっている。うちの奥様は気の多い点では誰にもひけをとらない。
チャールズの家では、どこへ行くかで時間をかなり無駄にしてしまったが、結局、ビーヴァー城へ行くことになった。その昔、お父さんとお母さんと一緒に訪れたことがあったとかで、チャールズのお母さんも薄れゆく記憶のなかでかすかに思いだしたようだった。その時持ち帰ったパンフレットを見ても、他の城を差し置いてまで見に行かねばという程のものではなかった。
地図を見ても、かなり遠く、ケンブリッジ・シャーを越えて、ノッティンガムの近くまで北上しなければならない。これならバースまで行くのとさして変わらない距離である。しかし、チャールズはビーヴァー城なら1日つきあうが、バースなら一緒に行かないと頑張る。観光シーズン中のバースへの車の旅には苦い思い出があるらしい。
ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ